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<新聞雑誌記事><記事 タイトル="" サブタイトル="" 文献="1" 人物="茨城県東海村" 年月日="2006/09/20(Wed)" 連続="4" 画像="" 横サイズ="650" 移動="1" リンク名="6" リンク="font" コメント="" ジャンプ="eco_genshiryoku_kokunai_tokai">&lt;font size=4&gt;&lt;a href=../&gt;Home&lt;/a&gt;&lt;center&gt;&lt;a href=eco_watashitati.xml&gt;私たちにできること&lt;/a&gt;&lt;br/&gt;┌────┬────┬──┴──┬─────┬────┐&lt;br/&gt;&lt;a href=eco_gairon.xml&gt;概　論&lt;/a&gt;　&lt;a href=eco_seibutsu.xml&gt;生物への影響&lt;/a&gt;　&lt;a href=eco_osen.xml&gt;汚　染&lt;/a&gt;　&lt;a href=eco_shoshigen.xml&gt;ゴミ・省資源&lt;/a&gt;　&lt;a href=eco_shoene.xml&gt;省エネ・温暖化&lt;/a&gt;　&lt;a href=eco_genshiryoku.xml&gt;原子力&lt;/a&gt;&lt;br/&gt;　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┌───┴──┐&lt;br/&gt;　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　&lt;a href=eco_genshiryoku_kaigai.xml&gt;海　外&lt;/a&gt;　　　　　　&lt;a href=eco_genshiryoku_kokunai.xml&gt;国　内&lt;/a&gt;&lt;br/&gt;&lt;p align=right&gt;&lt;a href=eco_genshiryoku_kokunai_rokkasho.xml&gt;六ヶ所村&lt;/a&gt;　東海村&lt;/p&gt;</記事>
<記事 タイトル="原子力／国内／東海村／" サブタイトル="原子力施設誘致の歴史" 文献="1" 人物="" 年月日="2008/06/20(Fri)09:22" 連続="" 画像="" 横サイズ="650" 移動="2" リンク名="" リンク="" コメント="" ジャンプ="eco_genshiryoku_kokunai_tokai">1956年2月6日　原子力施設誘致を村議に提案、8日に満場一致で可決。&lt;br/&gt;1957年8月27日　日本で初めて「原子の火」がともる。&lt;br/&gt;1997年3月　　　動燃の再処理工場で火災・爆発事故&lt;br/&gt;1999年9月30日　JCOの臨界事故</記事>
<記事 タイトル="原子力／国内／東海村／" サブタイトル="東海第二原発運転を停止へ" 文献="1" 人物="1990年11月28日" 年月日="2006/08/20(Sun)" 連続="" 画像="" 横サイズ="650" 移動="2" リンク名="上毛新聞1990.11.29" リンク="" コメント="" ジャンプ="eco_genshiryoku_kokunai_tokai">日本原子力発電は２８日、茨城県那珂郡東海村の東海第二発電所（沸騰水型、出力１１０万キロワット）で、格納容器内の漏水量がことし７月から増加していることから、点検のため２９日午前中に運転を手動停止する、と発表した。点検には約１０日間かける予定。</記事>
<記事 タイトル="原子力／国内／東海村／" サブタイトル="動燃事故、放射能東関東に広く拡散／気象庁が模擬実験、数日間、大気中に漂う" 文献="1" 人物="1997年３月11日" 年月日="2006/11/27(Mon)" 連続="" 画像="" 横サイズ="650" 移動="3" リンク名="山形新聞1999年4月8日" リンク="" コメント="" ジャンプ="eco_genshiryoku_kokunai_tokai">&lt;img src=img/700085.jpg align=right&gt;　一九九七年三月十一日に茨城県東海村の旧動力炉・核燃料開発事業団（動燃）東海事業所で起きた火災・爆発事故で、気象庁気象研究所（茨城県つくば市）などがコンピューターシミュレーンョンしたところ、施設外に漏れた放射性物質は関東平野の東半分に広がり、数日間にわたって大気中を漂ったとの結果が七日までに出た。&lt;br/&gt;　同事故で排出された放射性物質は、一年間吸い続けたときに国が定める一般人の被ばく限度に達する濃度（大気一立方b中に一千万マイクロベクレル）を大きく下回り健康に影響が出るレベルではなかったとされる。&lt;br/&gt;　しかし、担当した研究官らは「気象条件によって放射能は思ったより速く広がる」として、あらかじめ放射能の広がりを計算しておき、避難対策に生かすべきだと話している。&lt;br/&gt;　同事故では、大気中の放射能を定常観測している茨城県大洗町で事故を挟んだ数日間に大気一立方b当たリ六〇〇マイクロペクレル、水戸市で四一マイクロベクレル、つくば市の気象研究所でも九六マイクロベクレルの濃度の放射性物質・セシウム137を観測した。通常の平均値は大洗町と水戸市がそれぞれ検出限界の四〇マイクロベクレルと一〇マイクロベクレルを下回り、気象研では一マイクロべクレル以下だった。気象研究所と計量計画研究所（東京）、金沢大が当時の風向、風速データを使って実施したシミュレーンョンでは、セシウム137は関東平野の東側に広い範囲で拡散する複雑な動きを示した。&lt;br/&gt;　それによると、三月十一日に発生した火災・爆発の後の十二日未明には、セシウム137は北寄りの風に乗って千葉県北部、東京都東部、埼玉県東部に拡敢した。さらに西風で房総半島を越えて太平洋に出た後、十二目夕には東寄りの風で内陸方向に逆戻り。十三日未明にかけ関東平野北部&lt;br/&gt;に広がった。この間、雨が降らなかったため、地面に落ちずに空気中を漂い続けたとの結果だった。&lt;br/&gt;　また気象研究所で実測した観測値の九六マイクロベクレルは、測定用のろ紙を交換した十日午前十時から十二日午前十時までの平均で、実際には十二日未明に十倍の大気一立方b当たり約千マイクロベクレルに達したとの計算結果も得られた。千葉県八日市場市でも同日明け方ごろに約百マイクロベクレルに達したと推定している。</記事>
<記事 タイトル="原子力／国内／東海村／" サブタイトル="動力炉火災・爆発事故、動燃職員は４人だけ_" 文献="1" 人物="19970403" 年月日="2006/10/02(Mon)" 連続="" 画像="" 横サイズ="650" 移動="3" リンク名="週刊新潮／東京情報1847　ヤン・デン・マン　19970403" リンク="" コメント="" ジャンプ="eco_genshiryoku_kokunai_tokai">　事故が起きた施設の運転・管理に従事する職員４９人のうち、動燃職員は４人だけで、４５人が下請け会社の会社員だ。&lt;br/&gt;　下請け社員が、隣の建物にいる動燃職員の指示を仰いでいるうちに、消火開始が４分遅れたこと。また下請け社員が、消火マニュアルに定められた操作を実施していなかったことも報道された。（中略）&lt;br/&gt;　２１世紀のエネルギーを、核燃料に頼っていこうとしている…明らかに日本の命運がかかっていると同時に、危険も伴う事業の運営が、こうした管理のもとに行われていて、大丈夫なのか。（中略）&lt;br/&gt;　昭和３０年代の話だが、東海村で初めて国産原子炉の実験を行おうとしたときに、安全性の問題から、労使の対立、スト騒ぎがあったはずだ。…組合とは関係ない下請けを使うようになったというのが本当のところではないか。（中略）放射線を浴びる危険のあるところには職員が行きたがらない…。</記事>
<記事 タイトル="原子力／国内／東海村／" サブタイトル="東海発電所、今日運転を終了/国内の原発で初の廃炉" 文献="1" 人物="1998年3月31日" 年月日="2006/12/03(Sun)" 連続="" 画像="" 横サイズ="650" 移動="5" リンク名="山形新聞1998年3月31日" リンク="" コメント="" ジャンプ="eco_genshiryoku_kokunai_tokai">　茨城県東海村の日本原子力発電（原電）東海発電所（ガス冷却型、出力十六万六千`h）が３１日、国内の商業用原発で初めて廃炉されることになり、原子炉を停止、運転を終了する。…</記事>
<記事 タイトル="原子力／国内／東海村／" サブタイトル="東海発電所が廃炉　国内商業原発で初　廃棄物など課題山積" 文献="1" 人物="1998年3月31日" 年月日="2006/12/07(Thu)" 連続="" 画像="" 横サイズ="650" 移動="6" リンク名="山形新聞1998年4月1日号" リンク="" コメント="" ジャンプ="eco_genshiryoku_kokunai_tokai"> 茨城県東海村の日本原子力発電（原電）東海発電所（ガス冷却型、出力十六万六千`h）が三月三十一日午後、国内の商業用原発で始めての廃炉（廃止措置）に伴って原子炉を停止、三十一年八ヶ月にわたる運転を終了した。&lt;br/&gt; 東海発電所は一九六六年（昭和四十一年）、国内最初の商業用原発として営業運転を開始した。しかしガス冷却炉は国内で他になく、軽水炉の比べて保守費や発電単価が割高なため廃炉となった。原電は国の方針に従い、五月から約三年半で使用済み燃料を取り出して英国へ搬出し、その後原子炉など施設内の放射能濃度を低くするため五〜十年、安全貯蔵する。さらに五〜十年かけて原子炉を解体、撤去する方針。&lt;br/&gt; しかし、発生する廃棄物を放射性廃棄物と一般廃棄物に区別するレベルなど、原発解体の制度は未整備。解体で発生する十六万dにのぼる廃棄物の処分方法、場所も決まっておらず、将来への課題は山積みのまま、東海発電所はその「生涯」を終えた。&lt;br/&gt; 三十一日は午後三時に、タービン発電機を送電系統から切り離して発電停止。同三時半、中央制御室で運転員が手動停止ボタンを押して九十八本の制御棒を挿入原子炉を止めた。タービンホールや中央制御室では式典が開かれ、それぞれ約三十人が参加。阿比留雄社長ら原電経営陣や橋本昌茨城県知事らが運転終了の瞬間を見守った。&lt;br/&gt; 東海発電所は、天然ウランを燃料にし、黒煙を減速材に使用。冷却材の炭酸ガスが原因で炉内の鋼材が酸化する問題が生じ、運転開始当初から約十四万`hで運転していた。これまでの総発電電力量は約二百九十億`ワット時。解体費用は九五年の見積もりで約二百五十億円という。</記事>
<記事 タイトル="原子力／国内／東海村／" サブタイトル="日本原子力発電東海第二発電所でＥＣＣＳの弁棒折れる／弁は１９７８年に運転を開始してから一度も交換されていなかった" 文献="1" 人物="19990525" 年月日="2006/10/02(Mon)" 連続="" 画像="" 横サイズ="650" 移動="4" リンク名="毎日インタラクティブonline19990525" リンク="" コメント="政府が国内の原発の寿命延長を認めた直後こんな事故が__" ジャンプ="eco_genshiryoku_kokunai_tokai">　日本原子力発電は２５日、茨城県東海村の東海第二発電所（沸騰粋型軽水炉、出力１１０万キロワット）で、緊急炉心冷却装置（ＥＣＣＳ）の電動弁を開閉するステンレス製弁棒が折れていたと発表した。ＥＣＣＳは、原子炉から水が失われて炉心が溶け出すおそれが起きたときに注水する装置で、原発の安全性を確保する要になっている。通産省資源エネルギー庁によると、ＥＣＣＳで電動弁の弁棒が折れたのは初めて。同型の弁棒は多くの沸騰粋型原発で使われており、原因によってはほかの原発にも影響が及ぶ可能性がある。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;　東海第二原発は４月４日から定期検査中だった。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;　原電によると、折れていたのはＥＣＣＳのうち、低圧炉心スプレー系の注入弁に取り付けられた弁棒で、長さ約１．２b、太さ約５センチ。弁から約７５センチのところで折れていた。２０日に弁がうまく動作しないことがわかり、２４日に弁を分解して折れているのを確認した。３月１８日の作動試験では正常に動作したという。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;　原電によると、外部への放射能漏れはなかった。今後、弁が折れた原因を調べるとともの、同型の弁を使っている同発電所内のほかの１３カ所についても点検する。弁は１９７８年に運転を開始してから一度も交換されていなかった。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;　同発電所のＥＣＣＳは、原子炉の圧力が高い状態でも炉心に水を送り込める高圧炉心スプレー系と、冷却材の水が大量に失われて急激に炉心の圧力が下がったときに働く低圧注水系、低圧炉心スプレー系の三つの注水システムがある。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;　高圧、低圧の両スプレー系は１系統しかないが、低圧注入系は３系統あり、原電は「万一、低圧炉心スプレー系が働かなくても炉心の冷却はできる」と説明している。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;　また、通産省資源エネルギー庁原子力発電運転管理室は「ＥＣＣＳは、運転中でも定期的に動作を確認している。同型弁でトラブルの報告はなく、今のところ安全上の問題はない」と話している。【根本毅、鴨志田公男】&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;【市民グループ「原子力資料情報室」の上沢千尋さんの話】運転中に破損すると、原子炉の冷却が間に合わず炉心が溶け出す事態もあり得る。運転開始後２０年ぐらい断つ原発は定期検査だけでなく、１次系統や緊急炉心冷却系統、制御棒の周辺など重要な部位の取り替えが必要だ。国は原発の６０年運転を認めたばかりだが、こんなトラブルがないような点検体制を整えるべきだ。</記事>
<記事 タイトル="原子力／国内／東海村／臨界事故" サブタイトル="" 文献="1" 人物="臨界事故（1999年9月30日）" 年月日="2006/11/10(Fri)" 連続="" 画像="" 横サイズ="5" 移動="8" リンク名="" リンク="" コメント="" ジャンプ="eco_genshiryoku_kokunai_tokai"></記事>
<記事 タイトル="原子力／国内／東海村／臨界事故" サブタイトル="なぜ「臨界」確認が遅れたのか？" 文献="1" 人物="" 年月日="2008/06/19(Thu)01:31" 連続="" 画像="" 横サイズ="" 移動="9" リンク名="これから起こる原発事故　別冊宝島483　2000年1月発行" リンク="" コメント="専門家たちは問題を軽視した。日本で初めて起きた東海村臨界事故では無力であった。" ジャンプ="eco_genshiryoku_kokunai_tokai">&lt;img src=img/700144.jpg align=left&gt;9月30日午前10時35分、沈殿槽にバケツで七杯目の硝酸ウラン溶液を注いだ瞬間、溶液は爆発的に沸騰し、飛散し、作業員は倒れた。&lt;br/&gt;JCOはまもなくこの想定外の事故が「臨界」と知る。&lt;br/&gt;午前10時43分、JCOは東海村消防署へ通報すると同時に、社員を事務棟へ避難させた。&lt;br/&gt;消防署への通報では原子力の事故とは伏せられた。&lt;br/&gt;救急隊員はそこが放射能の危険地帯になったことを知らされないまま現場に向かうことになった。&lt;br/&gt;午前10時50分、3人の救急隊員が現場に入る。下着・シャツ姿で倒れていた作業員を四、五人の社員が囲んでいた。&lt;br/&gt;駆け寄ると、社員の一人が叫ぶ。「ここは放射能のレベルが高い。急いでくれ」&lt;br/&gt;被曝した三人の重症患者を担架に載せ運び出すと、その退出する背中に向かって、再び社員の声「ここから離れて」&lt;br/&gt;事故直後、周辺の住宅や企業、小学校には「臨界」は知らされなかった。&lt;br/&gt;&lt;font color=red&gt;&lt;b&gt;通報まで約1時間JCOは何をしていたのか？mikko&lt;/b&gt;&lt;/font&gt;&lt;br/&gt;何時間か遅れてJCO社員が「住民を避難させて欲しい」と村役場に駆け込んできた際、「社員はみんな避難している」と。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;「臨界事故の可能性有り」という最初の通報がJCOからあったのは午前11時15分過ぎ。&lt;br/&gt;だが送付先の原子力の専門家たちは反応が鈍かった。&lt;br/&gt;&lt;font color=red&gt;&lt;b&gt;通報後、約30分自治体は何をしていたのか？mikko&lt;/b&gt;&lt;/font&gt;&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;午後2時の会合で、国の原子力安全委員会は「臨界」とたとえそれが収まったとしても「最臨界の可能性がある」ことを指摘したのは住田委員長代理ただ一人だった。&lt;br/&gt;臨界がその後も続いているという情報がないことを理由に、会合の場は「臨界」を否定する多数派の意見に封じ込められた。国の救援体制が遅れたのはここに起因する。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;東海村役場にも、非常勤ながら原子力の専門家がいたが「ウラン転換で臨界など起こりようがない」という立場に終始した。JCOの通報を軽視して、ガンマ線の線量ばかりにこだわり、それが基準値に達していないことを理由に住民の屋内退避、避難の必要性に疑問をはさみつづけた。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;午後0時15分、災害対策本部を決断したのは原子力に素人の東海村助役（村長は公務出張中）であった。&lt;br/&gt;午後3時、村長が戻り住民の避難を決断。&lt;br/&gt;&lt;font color=red&gt;&lt;b&gt;周辺住民が避難するまでにすでに4時間半経っている。mikko&lt;/b&gt;&lt;/font&gt;&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;その頃、県は事態をまだ軽視して対策本部も設定していない。（午後4時設置）&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;JCOに近い那珂町の日本原研那珂研究所では事故直後、中性子線をキャッチしていたが「誤動作」と判断してそのまま見過ごしてしまった。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;午後6時頃、事故発生から7時間以上が経過してようやく中性子線測定が開始され「臨界」が確認された。</記事>
<記事 タイトル="原子力／国内／東海村／臨界事故" サブタイトル="バケツで「臨界」は起こったか？" 文献="1" 人物="" 年月日="2008/06/18(Wed)14:06" 連続="" 画像="" 横サイズ="" 移動="10" リンク名="これから起こる原発事故　別冊宝島483　2000年1月発行" リンク="" コメント="臨界が起こる可能性のある施設を認可していた。" ジャンプ="eco_genshiryoku_kokunai_tokai">JCO転換試験棟の許認可上の作業工程は人間の手作業の入る余地のないものだが、JCOの手順書つまり「裏マニュアル」ではバケツを使っていいようになっていた。&lt;br/&gt;しかしバケツが致命的な欠陥ではなかった。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;臨界が起こった沈殿槽は直径50センチ、高さ70センチ、ずんぐり丸い形状をしている。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;通常、濃縮度約20％のウラン溶液では最適条件における最小臨界量は5．5キロとされている。&lt;br/&gt;許認可上は安全を考慮してさらに量を少なくし2．4キロまでとなっていた。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;臨界を起こしたときの投入量は16キロ。制限値の七倍も入れたわけだ。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;容量自体が大きい以上、むしろポンプで自動注入する場合のほうが、もっとひどい事故になっていたかもしれない。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;もうひとつの致命的な欠陥は沈殿槽の形状が「ずんぐり丸い」ことだ。&lt;br/&gt;沈殿槽の外に中性子が逃げるなどして失われる中性子が多ければ臨界は起こらない。&lt;br/&gt;丸い構造体は同じ体積のほかの立体に比べ表面積がいちばん小さく中性子が最も逃げにくい形状である。&lt;br/&gt;「表面積の大きい細くて長い棒状の沈殿槽にすればよかった」&lt;br/&gt;「要するに、作業上の効率だけの問題でしょう。それだけの理由でこんな沈殿槽を設計した人間がいた。そしてそれにハンコをついた科技庁の安全委員会の担当者がいたということ」（小出）&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;「バケツは7リットル程度だから20％濃縮ウランでは臨界が起こらない」（小出）&lt;br/&gt;しかし「もっと高濃縮ならバケツ一杯でも臨界になる」（核燃料サイクル開発機構のある職員）&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;見逃せないことは、20年前に作られた転換試験棟の設置許認可申請には濃縮度50％まで扱えるように書かれているという。やはり、バケツで臨界を起こす可能性のある施設だった。</記事>
<記事 タイトル="原子力／国内／東海村／臨界事故" サブタイトル="核爆発の恐れはなかったか？" 文献="1" 人物="" 年月日="2008/06/17(Tue)01:22" 連続="" 画像="" 横サイズ="" 移動="11" リンク名="これから起こる原発事故　別冊宝島483　2000年1月発行" リンク="" コメント="建物を破壊する爆発より、恐ろしい爆発がすでに起こっていた。（中性子爆弾）" ジャンプ="eco_genshiryoku_kokunai_tokai">今回の事故は「即発臨界」とその後約20時間続く「遅発臨界」の二つが起こったといわれる。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;今回の核分裂反応の規模を考えると、沈殿槽を破壊させるほどの爆発には至らなかっただろう（小出助手）&lt;br/&gt;沈殿槽が密閉構造だったら（実際は上部に開口部があった）建物を破壊するほどの大爆発を起こしただろう。（安斎教授）&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;今回起こった事故では日本原子力研究所が分析し公表されたものによればおよそ0．5ミリグラムから1ミリグラムのウランの量が核分裂を起こした。&lt;br/&gt;熱出力で50〜100ワット程度。灯油1．4リットルが燃えたときに生じるエネルギーと同じくらい。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;エネルギーはわずかであるが、放出された放射線は三人の作業員に重症を負わせ、周辺住民を目に見えない恐怖におびえさせた。</記事>
<記事 タイトル="原子力／国内／東海村／臨界事故" サブタイトル="臨界事故四つの「お粗末」（名城大学商学部教授：槌田敦）" 文献="1" 人物="" 年月日="2008/05/27(Tue)13:16" 連続="" 画像="" 横サイズ="" 移動="12" リンク名="これから起こる原発事故　別冊宝島483　2000年1月発行" リンク="" コメント="官のお粗末で民の被害" ジャンプ="eco_genshiryoku_kokunai_tokai">&lt;font size=2 color=green&gt;太字はmikkoが編集しました。&lt;/font&gt;&lt;br/&gt;ウランという化学物質はほとんど放射能を出さない。&lt;br/&gt;したがって天然ウランか低濃縮ウランを扱うならバケツでもいい。&lt;br/&gt;　　核分裂能力には四つのレベルがある。&lt;br/&gt;　　　１．天然ウラン（濃縮度0.7％）&lt;br/&gt;　　　２．低濃縮ウラン（約5％）&lt;br/&gt;　　　３．中濃縮ウラン（約20％）&lt;br/&gt;　　　４．高濃縮ウラン（80％以上）&lt;br/&gt;２のレベルでも大量のウランと大量の水や黒鉛がないと臨界は起こらない。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;問題は直径５０cm、高さ７０cmの沈殿槽である。&lt;br/&gt;この装置は低濃縮用であるのに作業員は中濃縮ウランの加工に使った。&lt;br/&gt;それはJCOが装置の使用許可申請をしたとき&lt;b&gt;原子力安全委員会と科学技術庁が「使っていい」と認めた&lt;/b&gt;からである。それが事故を招いた。（お粗末その１）&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;核燃料サイクル開発機構（旧動燃）は事業体として金食い虫で、新たに中濃縮ウラン加工用の装置を作るために科技庁に予算申請しても通りそうにないのでJCOに発注した。&lt;br/&gt;その際、&lt;B&gt;危険性の高い中濃縮ウランをJCOに扱わせるに当たり調査をしなかった。&lt;/B&gt;ずさんなのは発注もとの旧動燃である。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;事故が起こり、裸の原子炉の自動運転みたいな臨界状態がずっと続いたのに&lt;br/&gt;安全委員会は「何が起こったかわからなかった」と言っている。&lt;br/&gt;５時間も経ってから２キロも離れた原研の那珂研究所から「臨界が続いている」という報告がデータつきで届いている。それでも安全委員会はその報告の意味に気がつかずさらに（適切な対応が）３時間遅れた。&lt;br/&gt;こんなことで遅れること自体ナンセンス。&lt;br/&gt;現場周辺では時々刻々ガンマ線を計測していた。臨界が終われば短い半減期の放射能は消えるのでガンマ線もスーッと減る。ところが&lt;b&gt;今回はずっとガンマ線の量は減っていないので臨界が続いていると考えるより他ないはず。&lt;/b&gt;専門家たちはイロハのイも知らなかった。（お粗末その２）&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;安全委員会委員長代理の住田氏は、臨界を止めるために決死の水抜き作業をやったが、あの場合その必要はなかった。&lt;br/&gt;あの時沈殿槽の中の状態というのはゆっくりした核分裂反応を続けていたので水はだんだん蒸発してゆきそれに従って出力も自然に落ちていっただろう。&lt;br/&gt;水は抜かなくとも冷却水にホウ酸を流し込むだけでよかった。または水を止めて、沈殿槽の冷却水も止めればよい。&lt;b&gt;水抜き作業のために何度も中に入って被曝する必要はなかった&lt;/b&gt;（お粗末その３）&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;水抜き作業にJCOからボランティアの決死隊を募ったが、あそこは原子力の専門家が行くべきである。間違ってならないのは「JCOの作業員は、ウランを扱う労働者であり、核分裂と放射能の専門家では決してない」&lt;b&gt;素人に臨界の後始末をさせたのはお粗末の限り&lt;/b&gt;。（お粗末その４）</記事>
<記事 タイトル="原子力／国内／東海村／臨界事故" サブタイトル="水抜き作業は正しかったのか？" 文献="1" 人物="┗" 年月日="2008/06/17(Tue)00:49" 連続="" 画像="" 横サイズ="" 移動="10" リンク名="これから起こる原発事故　別冊宝島483　2000年1月発行" リンク="" コメント="" ジャンプ="eco_genshiryoku_kokunai_tokai">臨界が続いていた10月1日午前2時過ぎ、JCO東海事業所の事務棟2階に、女性社員を除いた従業員が招集され沈殿槽の冷却水を外部から抜くことになり「決死隊」の志願者が募られた。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;それは将来を考え独身の若手と、「現場作業に詳しくないから」との理由で役員や管理職を免責した。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;志願者はゼロだった。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;結局は若手社員から「自分が行く」と声があがったが幹部ほど保身優先が目立った。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;午前2時30分、水抜き作業がスタート。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;3人一組に3分間交替で行われる予定だったが、1分間で中性子線を測るポケット線量計のアラームがなりあわてて現場を離れるという繰り返しが続いた。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;沈殿槽から転換試験棟の外につながる冷却水パイプのバルブを開け水を抜けばすむのだが、なぜかバルブは開かなかった。次に、別班の作業員がパイプを破壊したがそれもうまくいかない。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;3度目、パイプの中にアルゴンガスを吹き込みようやく水は流れ出した。&lt;br/&gt;それとともに中性子線の線量は低下した。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;午前6時過ぎ、臨界終了を確認したが大事をとり、さらに中性子線を吸収する性質を持ったホウ酸水を沈殿槽に注入する。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&lt;font size=2 color=green&gt;この対応に対して専門家から賛否さまざまな意見があった。mikko&lt;/font&gt;&lt;br/&gt;・水を抜くことは中性子線を沈殿槽から減らし、臨界を収束させるように働く。（小林圭二助手）&lt;br/&gt;・水抜きなどせずに最初からホウ酸水をパイプから注入すればよかった。&lt;br/&gt;・水はいずれ蒸発するので何もしなくてもよかった。（槌田教授）&lt;br/&gt;・燃えたウラン量が少ないので水はそんなに蒸発しなかったはず。一刻も早く臨界を止めるには水抜きしかなかった。（小出助手）</記事>
<記事 タイトル="原子力／国内／東海村／臨界事故" サブタイトル="やはり放射能は漏れていた！？" 文献="1" 人物="" 年月日="2008/06/16(Mon)12:38" 連続="" 画像="" 横サイズ="" 移動="14" リンク名="これから起こる原発事故　別冊宝島483　2000年1月発行" リンク="" コメント="" ジャンプ="eco_genshiryoku_kokunai_tokai">遮蔽体のない「裸の原子炉」が突然出現したのだから、気化しやすい核分裂生成物質のヨウ素は当然、環境中に漏れているはず。&lt;br/&gt;小出（京大原子炉実験所助手）の測定が新聞報道されるや、6日、茨城県も同じ場所でヨモギなどを採取し、7日ヨウ素が検出された。&lt;br/&gt;小出の測定では事故から18時間後ヨウ素の中でも最も毒性が高いヨウ素131でヨモギ1キロ当たり最大100ベクレル。ヨウ素133は2000ベクレル。国の摂取制限値を大幅に下回り、直ちに健康に影響を与えるレベルではないとされる。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;「国は安全だと繰り返すが、事故後その情報を伝えなかった。ヨード剤を飲まなければならないほどではないと思うがヨモギは確実に汚染されていた。そういう情報をきちんと開示した上で、汚染したmのには触らないでおこうとか、同じ場所の畑の野菜類は一週間は食べないようにしようなどの、細かい指示・アドバイスができたはず」と小出は言う。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;11月に入り科技庁から、今回の臨界事故におけるヨウ素の全放出量が国内で過去最大になることが報告された。それによると臨界が続いた約20時間に約2兆ベクレル。これまでの国内最大は1991年、関西電力の美浜原発2号炉の冷却水漏れ事故で約4億ベクレル。その5000〜1万倍多いことになる。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;放射能漏れでもうひとつ問題になってくるのが希ガス。原子炉事故の際、クリプトン、キセノンなど放射性気体元素は、ヨウ素と比べても環境中に出やすく、「今回、希ガスは100％放出された」と小出は見る。&lt;br/&gt;その間の風向きから想像するに、希ガスは事故後まず西へ向かい、夕方、北北西へ、夜は陸から海に吹く風で東へ、その後南から南東方向へと漂いつづけていたことになる。&lt;br/&gt;350メートル内の住民が避難し夜を過ごした舟石川コミュニティーセンターは、風下に当たる。</記事>
<記事 タイトル="原子力／国内／東海村／臨界事故" サブタイトル="周辺住民は中性子線をどれだけ被曝したのか" 文献="1" 人物="" 年月日="2008/06/16(Mon)15:45" 連続="" 画像="" 横サイズ="" 移動="15" リンク名="これから起こる原発事故　別冊宝島483　2000年1月発行" リンク="" コメント="" ジャンプ="eco_genshiryoku_kokunai_tokai">原子力事故で一般人にまで放射線被曝の被害が及んだことは日本で初めて。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;日本原子力研究所労働組合の分析で350メートル以内の住民が年間許容量の2倍の2ミリシーベルトを浴びたと報告。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;11月4日、科技庁から被曝量の推定値が発表された。&lt;br/&gt;事故最初の25分間に臨界の続いた間（約20時間）の放射線量の半分が放出されていたということ。つまりそれまでの推定値を二倍にしなければならないことに。&lt;br/&gt;事故現場から距離80メートルで約150ミリシーベルト、350メートルで数ミリ〜数十ミリシーベルト。それより距離が遠く避難をしなかった住民でも許容限度の1ミリシーベルトを超えていることが判明した。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;この科技庁の発表によって全被曝量の推定値が出た。&lt;br/&gt;その結果、被曝者数は当初の&lt;br/&gt;JCO関係者、消防署救急隊員、付近の建設会社社員を合わせた69人のほか新たに周辺住民120人が加わることになった。</記事>
<記事 タイトル="原子力／国内／東海村／臨界事故" サブタイトル="住民の被曝に対しての避難はあれでよかったか（名城大学商学部教授：槌田敦）" 文献="1" 人物="" 年月日="2008/05/27(Tue)13:16" 連続="" 画像="" 横サイズ="" 移動="16" リンク名="これから起こる原発事故　別冊宝島483　2000年1月発行" リンク="" コメント="" ジャンプ="eco_genshiryoku_kokunai_tokai">&lt;font size=2 color=green&gt;文中の太字はmikkoの編集です。青字は同書の別記事「半径350メートル以内避難は正しかったか？」によります。&lt;/font&gt;&lt;br/&gt;&lt;a href=img/700141.jpg&gt;&lt;img src=img/700141.jpg width=250 align=left&gt;&lt;/a&gt;&lt;b&gt;東海村は村独自の判断で350メートル以内の住民&lt;/b&gt;&lt;font size=2 color=green&gt;（この区域内には隣町の那珂町の人々もいるmikko）&lt;/font&gt;&lt;b&gt;を避難させた&lt;/b&gt;が&lt;br/&gt;事故発生から約５時間後に避難した時点で中性子線は計測されていない。&lt;br/&gt;推定すると一番多く被爆した住民は距離100メートルで合計25ミリシーベルトとなる。しかしこれには事故直後の爆発的な大量放出した中性子線は含まない。これを仮に25ミリシーベルトとし、さらに別のガンマ線量を5ミリシーベルトとするとこの距離で住民が浴びた被曝線量は55ミリシーベルトとなり年間許容線量（1ミリシーベルト）の&lt;b&gt;55年分をわずか5時間で浴びた&lt;/b&gt;ということを意味する。&lt;blockquote&gt;&lt;font color=blue&gt;避難連絡の遅れの背景には日本の原子力行政の問題がある。原子力行政では安全対策から補助金、そしていざというときの住民救済のための「安全協定」がある。裏返せば原子力施設の所在市町村でなく安全協定を結んでいない市町村には緊急連絡が行かないということ。今回では那珂町がそうだった。&lt;b&gt;本来現場からまでの距離や地形、風向きや雨などの気象条件が重要であり、行政の境界線はまったく意味がない。&lt;/b&gt;&lt;br/&gt;&lt;font size=2 color=green&gt;安全協定を結んでいると思われる東海村の人たちにも避難勧告が遅れたのはなぜ？？mikko&lt;/font&gt;&lt;br/&gt;JCOが村と県に送ったファックス第6報には「半径500メートル以内の住民避難を要請」と書いてある。これとほぼ同時刻にJCO社員二人が東海村役場に現れて持ち込んだ地図にはなぜか350メートル県内にラインが引かれてあった。どうして350メートル圏内と決まったのか明らかにされていないが500メートル圏内にすれば隣の那珂町も入ることも気になったようだ。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;原子力防災法の政府案が11月12日閣議決定した。法案は国主導の防災を目指し、首相の緊急事態宣言、災害対策本部の設置、自衛隊の派遣、健康診断や経済的損失への配慮などを盛り込む一方、原子力事業者にも防災責任を明示し、放射線測定設備や非常用通信機器の設置などを義務付ける。こうした事柄は原子力施設の所在市町村の間では事故が起こるたびに求めていたものである。&lt;br/&gt;実際今回の臨界事故では（国と自治体の）ギャップが浮き彫りになった。東海村が屋内退避を指示した頃、水戸市の茨城県庁ではまだ事態を楽観視していた。さらにその少し前、村がJCOの避難要請を検討していた頃、国は、科技庁の原子力安全局の間宮局長が、野中広務内閣官房長官に「臨界は収束に向かっている」と報告。国が災害対策本部の初会合を開いたのは夜になってからだった。このため国や県からの助言も受けられないまま、東海村の村上村長は孤独な決断を迫られることになった。原子力安全協定を結んでいない隣の那珂町に至ってはJCOからの報告すらなかったが東海村の防災行政無線やテレビの情報をもとに、独自の判断で近くの住民8世帯などを避難させた。&lt;br/&gt;先の原子力防災方で防災の指示が一元化されるとこうした「温度差」がなくなるのだろうか。むしろ指示系統が一元化されなかったことがよかった。&lt;b&gt;東海村も那珂町も独自の判断で動いたことがよかった。国や県の指示を待っていたら、被害はもっと拡大していたはず。&lt;/b&gt;「今回いちばんいけなかったのは、パニックや住民の同様を恐れるあまり、10キロ圏内の自宅や公民館などに（住民を）閉じ込めてしまったこと、もしも、閉じ込めた住民のところに放射能雲が襲ってきたらいったいどうするか。10キロ圏内の人であれば、まず逃げること」と名城大学槌田教授は言う。&lt;/font&gt;&lt;/blockquote&gt;&lt;br/&gt;10ミリシーベルトなら心配しても仕方がない。&lt;br/&gt;100ミリシーベルトなら発ガン、老化の心配。&lt;br/&gt;その意味で、被曝した人はあまり深刻にならないほうがいいかもしれない。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;ところが100メートル以内の会社の空き地で事故の日の昼休みにゴルフをしていた社員たちは「頭が痛い」と症状を訴えている。&lt;br/&gt;今回の事故は原子炉の事故と同じことが起こっているわけで核分裂生成物質ができ外部に漏れていることを想定しなければならない。中でも疑わしいのはヨウ素である。ヨウ素にはいろいろな種類があって甲状腺がんを引き起こすヨウ素131ばかりでなくヨウ素134が怖い。その他のヨウ素を合計するとヨウ素131の約800倍も放出されている。&lt;br/&gt;徹底的に調べる必要があるのに隠されてしまった。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;避難のときにマスクをしている人はほとんど見なかったが、いちばん注意しなければならないのは放射能が体の中に入るのを防ぐこと。呼吸ルートは口と鼻をぬれタオルでふさぐこと、食物摂取ルートを防ぐために二、三日食事を我慢したほうがいい。&lt;br/&gt;しかし水は飲んだほうがいい。おしっこは体の中の放射能を洗い流す。&lt;br/&gt;傷口からのルートを防ぐためには傷口をふさいでおくこと。&lt;br/&gt;体についた放射能は洗えば落ちてしまう。&lt;br/&gt;降り注いでくる放射能から身を守るために帽子をかぶること。髪の毛は放射能が付着しやすい。&lt;br/&gt;また使い捨てのビニールコートを着用したほうがいい。&lt;br/&gt;靴は替えを用意しておくこと。汚染地帯を脱出すれば靴を履き替えたほうがいい。</記事>
<記事 タイトル="原子力／国内／東海村／臨界事故" サブタイトル="組織そのものが安全を軽視している（元原発技術者：佐藤一郎）" 文献="1" 人物="" 年月日="2008/05/26(Mon)10:39" 連続="" 画像="" 横サイズ="" 移動="17" リンク名="これから起こる原発事故　別冊宝島483　2000年1月発行" リンク="" コメント="" ジャンプ="eco_genshiryoku_kokunai_tokai">作業を行っていた従業員は3人。&lt;br/&gt;2人は硝酸ウランの製造工程の作業ははじめて。&lt;br/&gt;作業の指導役立った作業員も二、三ヶ月の経験しかなかった。&lt;br/&gt;もっとも安全が重視される原子力の現場で作業員の経験を無視した作業体制がとられた。&lt;br/&gt;組織そのものが安全、仕事そのものを軽視している。&lt;br/&gt;作業マニュアルも安全を無視した違法マニュアルだった。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;動燃も情報隠しを非難されているが、ＪＣＯも動燃と同じように嘘をつき情報を隠した。&lt;br/&gt;JCOは事故直後、三人の作業員を「ベテラン社員」で、バケツを使って硝酸ウランを製造していたことはまったく知らなかったと言った。&lt;br/&gt;事故がおきたのは9月30日午前10時35分で、5分後に社員がグラウンドに避難し、25分後に救急車が到着。&lt;br/&gt;事故発生から約1時間後に県と東海村へ「臨界事故の可能性」という連絡をした。&lt;br/&gt;こうした情報隠しのため付近の住民は何も知らずに長時間放射線の被曝を受けてしまった。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;事故当日、小渕恵三首相は事故を重大なものと認識せず、新内閣組閣にうつつを抜かしていた。&lt;br/&gt;その後も政府や有効な対策を打てないという無能さをさらけ出した。&lt;br/&gt;臨界を止めるための方法を考え指導をとったのは現場にいた学者や技術者だった。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;国が国策として推進してきた原子力でしかも国が認可した企業が非常識な作業を十年間続けてきたことに何の責任も感じない。&lt;br/&gt;一連の政府の行動を見るといかに原子力が無能、無責任体制によって進められているかがわかる。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;またJCO東海事業所はここ数年立ち入り検査をしていなかった。&lt;br/&gt;</記事>
<記事 タイトル="原子力／国内／東海村／臨界事故" サブタイトル="" 文献="2" 人物="→" 年月日="2008/06/05(Thu)13:27" 連続="" 画像="" 横サイズ="" 移動="18" リンク名="東海村臨界事故で狂った「原発立地」のお膝元の皮算用" リンク="hyoji2.cgi?tensou=eco_genshiryoku_kokunai&amp;nengappi=2008/06/05(Thu)12:55" コメント="" ジャンプ="eco_genshiryoku_kokunai_tokai"></記事>
<記事 タイトル="原子力／国内／東海村／臨界事故" サブタイトル="" 文献="2" 人物="→" 年月日="2008/06/10(Tue)02:49" 連続="" 画像="" 横サイズ="" 移動="19" リンク名="プラザ合意が臨界事故を招いた？" リンク="hyoji2.cgi?tensou=eco_genshiryoku_kokunai&amp;nengappi=2008/06/06(Fri)09:57" コメント="" ジャンプ="eco_genshiryoku_kokunai_tokai"></記事>
<記事 タイトル="原子力／国内／東海村／臨界事故" サブタイトル="" 文献="1" 人物="＜記事＞" 年月日="2008/05/26(Mon)10:39" 連続="" 画像="" 横サイズ="4" 移動="9" リンク名="" リンク="" コメント="" ジャンプ="eco_genshiryoku_kokunai_tokai"></記事>
<記事 タイトル="原子力／国内／東海村／臨界事故" サブタイトル="１０キロ以内に屋内待避勧告／従業員ら１６人も被ばく_" 文献="1" 人物="1999年9月30日" 年月日="2006/11/23(Thu)" 連続="" 画像="" 横サイズ="650" 移動="6" リンク名="毎日インタラクティブ1999年9月30日" リンク="" コメント="" ジャンプ="eco_genshiryoku_kokunai_tokai">　茨城県東海村石神外宿の核燃料加工会社「ジェー・シー・オー東海事業所」の転換試験棟で３０日発生した従業員３人の被爆事故は核分裂反応が連続して起きる臨界事故だったことがわかった。同日夜になっても同事業所周辺などの放射線量が低下せず、再臨界の可能性も出ている。このため、同県の橋本昌知事は午後１０時半、同事業所から半径１０キロ以内の住民約３１万人に対し、屋内待避を呼び掛けた。政府は同日午後９時、小渕首相を本部長とする対策本部を設置した。また文部省は同事業所近くの小中学校に１日は臨時休校するよう指示した。臨界事故、被曝による重傷者の発生、避難要請はいずれも日本で初めて。原子力施設事故の国際評価尺度で「レベル４」に相当する最悪の事態となった。&lt;br/&gt;　被曝したのは、同県常陸太田市山下町、大内久さん（３５）▽日立市田尻町、篠原理人さん（３９）▽ひたちなか市足崎、横川豊さん（５４）。３人は千葉市にある科学技術庁放射線医学総合研究所で治療を受けているが、うち大内さんと篠原さんが意識もうろうとなる重症、横川さんが軽症。このほか、従業員１１人の髪が放射能に汚染されていることがわかった。</記事>
<記事 タイトル="原子力／国内／東海村／臨界事故" サブタイトル="「健康大丈夫なのか」病院に住民の長い列／“見えぬ恐怖”続く／必死の抑止作戦" 文献="1" 人物="1999年10月1日" 年月日="2006/08/25(Fri)" 連続="" 画像="" 横サイズ="650" 移動="4" リンク名="山形新聞1999年10月1日" リンク="" コメント="" ジャンプ="eco_genshiryoku_kokunai_tokai">＜「危険はいつまで」「家族や自分の健康は大丈夫なのか」。茨城県・東海村臨界被ばく事故から一夜明けた一日。被ばく者は四十九人に増え、放射能汚染の「見えない恐怖」が重くのしかかった。新聞は配達されず、JRは運休、学校も臨時休校。検査のできる病院には住民の長い列ができた。原子力とともに歩んだ街を行き交うのは、窓を閉め切った車だけ。核然料加工会社の従業員は夜を徹し、自らの被ばくを顧みず被害をくい止める作業を進めた。村役場では職員二百人がほぼ総出で待機。放射線レベルが低下、臨界が終息したとの発表に、職員からはひとまず安どの声が上がった。＞＝1面に関連記事&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;　日本で初めて原子の火がともり、原子力とともに歩んだ街から一日朝、人が消えた。屋内退避の呼び掛けに住民は外出を避け、じつと危険が去るのを待った。宅配便、新聞も「危険地帯」への配達をやめ、店も臨時休業。農業、水産業者も「死活問題だ」と今後に気をもむ。東海村臨界被ばく事故は市民生活に大きな影響を与えている。&lt;br/&gt;　東海村を営業エリアに持つ佐川急便那珂店（茨城県那珂町）は、東海村への配達を見合わせた。同村行きの荷物は六百個弱。女性の転手四人は休ませ、事故のあった九月三十日に東海村を回っていた四人は病院に行かせる。&lt;br/&gt;　約五千軒に配達している高村舟石川の新聞販売店では、販売員十数人が自主的に出勤してきたが、配達する新聞が届かない。「新聞の配達はないのか」という問い合わせも。別の販売店の店主（54）は「読者も待っていると思う。こんな時に配達できないのは一番つらいが、動きたくても動けない」と話した。&lt;br/&gt;　ひたちなか市の産婦人科病院、加瀬病院では患者からの電話などの問い合わせに、状況がはっきりするまで受診に来ないよう伝えている。二十人近くいる入院患者は病室の窓を閉めエアコンも止めているという。&lt;br/&gt;　JR常磐線東海駅も始発から列車運休、通勤・通学自粛もあって閑散とした状態。駅のそばのコンビニ「スバー東海駅東店」では一日未明から早朝にかけての来客は十人程度。いつもはサンドイッチなどを買う学生で込み合う朝も客の姿が見えない。商品も届かず、弁当などの生鮮食料品や飲料水はすべて品切れ状態となった。&lt;br/&gt;　毎日一万四、五千通ある同村の郵便を扱う東海郵便局は関東郵政局からの指示で業務を停止、幹部数人だけが午前八時までに出勤した。局の入り口にはおわびの張り紙を出した。&lt;br/&gt;　茨城県内に多くの工場がある日立製作所（東京）は、ひたちなか市、日立市の工場、研究施設の計十二カ所の操業を一時中止、現場の判断で自宅待機などを従業員に指示した。&lt;br/&gt;　「何もかにもストップしている状態。死活問題だ」。地元の農協や漁協からは先行きを不安視する声が聞かれた。ひたちなか農協東海中央支青森と盛岡、仙台の各市場から、収穫中のサツマイモの出荷を止めるようにという要請を受け九月三十日夜、生産者代表と緊急協議。一日朝には、東京の市場からもネギの出荷を止めるよう連絡が入った。&lt;br/&gt;　早朝から電話連絡に追われた同県日立市の久慈町漁協。県の要請を受けて出漁を見合わせた。今橋照男組合長は「沿岸漁業は全面取りやめ．あそこの魚は危ないという疑いを持たれるのではないかと心配だ」と不安そうに話した。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;必死の「抑止作戦」３分で２年分の被ばく&lt;br/&gt;　強烈な放射棉を出しながらタンクの中で核分裂の連鎖反応を続けているウラン。例を見ない臨界事故をなんとか終息させる必死の作業――東海村臨界被ばく事故でジェー・シー・オー社員ら計十八人が一日未明から早朝にかけて繰り広げた「臨界抑止作戦」は、わずか三分間に年間被ばく許容限度の二年分に相当する放射線を浴びての危険な挑戦だった。&lt;br/&gt;　午前二時すぎ、事故現場の転換試験棟に、防護服を着た最初の二人が近づく。事故後再びウランが臨界状態になったとみられる沈殿槽のその周りから核分裂を起こす中性子を沈殿槽の中に閉じ込める働きをしている冷却水を抜いて、臨界を止めるためだ。&lt;br/&gt;　しかし試験棟の近くでは大量の中性子線が検出され、長時間の作業は命にかかわる。防護服でも、中性子は十分には防げない。できるのは数分単位の細切れ作業だけだった。&lt;br/&gt;　二人は午前二時三十五分から三十八分まで、実際の水を抜く作業に入る前に、水抜きバルブ周辺の様子を確かめるための写真振影。これだけで一人が被ばくした放射綿は、放射線作業従事者の年間被ばく限度（五〇_シーベルト）の約二倍に当たる一〇〇_シーベルト。三分間で二年分の被ばくにさらされた。&lt;br/&gt;　同じチームは、もう現場に近つけない。&lt;br/&gt;　次の二人、また次の二人と交代しながら作業は続いたが、すんなりとは進まない。バルブを開いても排水される量はわずか。排水配管をハンマーで壊したが、やはり水は出なかった。&lt;br/&gt;　午前六時、九回目の作業で冷却水を追い出すためにホースでガスを送る作業が成功。その十分後に「周囲の放射線値が下がった」。六時半、敷地周辺の計十四カ所の測定地点で、中性子線が検出されなくなった。</記事>
<記事 タイトル="原子力／国内／東海村／臨界事故" サブタイトル="盲点―小規模工場の安全／事故、想定せず？" 文献="1" 人物="1999年10月1日" 年月日="2006/08/25(Fri)" 連続="" 画像="" 横サイズ="650" 移動="5" リンク名="山形新聞／社会1999年10月1日" リンク="" コメント="" ジャンプ="eco_genshiryoku_kokunai_tokai">＜茨城県東海村のウラン燃料転換工揚の臨界事故は、被ばくによる重症者に加え、周辺住民が避難する日本の原子力史上最悪の事態となった。原発など大型施設の安全対策が声高に叫ばれる一方、盲点となっていた小規模な工場での大事故で、住民たちへの連緒通報や避難要請は乱れに乱れた。＞&lt;br/&gt;■青い光を見た&lt;br/&gt;　事故は、通常の原発より核分裂性ウランの濃い硝酸ウラニル溶液を、核燃料サイクル開発機構の高速増殖炉実験炉「常陽」の燃料の原材料に加工する過程で起きた。&lt;br/&gt;　臨界事故に詳しい日本原子力研究所の研究員が発生直後、「ウランの量が多すぎたか、濃度が濃かったか」と指摘していた通り、溶液をタンクに通常の七倍も入れてしまった結果、核分裂が連鎖的に進んだことが分かった。&lt;br/&gt;　被ばくした社員は倒れたとき「青い光を見た」という。眼球の水晶体に強い放射線が当たった時の反応で、ガンマ線と中性子線を…浴びた社員は、典型的な急性放射線障害の症状に陥った。&lt;br/&gt;　同日午後急きょ開かれた原子力安全委員会で「初歩的なルール違反があったのではないか」との意見が出たように、通常の原子力安全管理の感覚では考えられないミスだった。&lt;br/&gt;　高木仁三郎・原子力資料情報室理事は「ふだん低濃縮ウランを扱う転換工場で、臨界事故など考えていなかったのではないか」と指摘する。&lt;br/&gt;■不慣れな広報&lt;br/&gt;　実際、事故発生当時、会社は倒れた同僚の救出の手だてをマニュアル通りに行った半面、村や消防への連絡は後手に回った。四時間以上たった会見でも不慣れさは歴然で、発表内容はわずかにB5判の紙一枚。報道陣に促されてようやく具体的なデータを出す始末だった。&lt;br/&gt;　″原子力の村″として防災訓線を重ねていたはずの村から住民への連絡、通報も混乱を極めた。&lt;br/&gt;　「家から出ないでください。窓を閉めてください」&lt;br/&gt;　東海村役揚が広報車を出して屋内待機を呼び掛けたのは、事故から二時間以上たった三十日の午後一時ごろ。&lt;br/&gt;　「一番危ないときに、畑仕事で外にいた。役場から説明は何もないよ」と、工場から約百五十bに住む男性は憤った。&lt;br/&gt;　乳児を連れた近所の主婦も、「三十年近く住んでいるが、まさか私たちがこんなことに‥」と途方に暮れていた。&lt;br/&gt;　しかし、事故発生以来、茨城県は「すぐそばの四世帯を除き、非難の必要はない」との立場を貫いた。子供たちは窓を閉め切った月光の教室で不安げに家族の迎えを待った。&lt;br/&gt;■ピストン輸送&lt;br/&gt;　ところが午後三時前、事故があったジェー・シー・オー東海事業所長が周辺の測定値に驚き、役揚に駆け込んで「半径三百五十b以内の住民を避弊させられないか」と訴え、情勢は一変。数値は、一般人なら一時聞余りで年間許容量を起える高い値を示していた。&lt;br/&gt;　茨城県が依然「屋内退避が妥当」と判断するのに対して、村は午後三時、周辺への避難要請を決断した。&lt;br/&gt;　広報車六台、ワゴン車六台が地域から次々に住民を近くのバスまでピストン輸送。バスが近くのコミュニティーセンターに住民を送り込んだ。県の原子力防災対策本部が開かれたのは同日夕。その後、午後八時すぎまでに百六十人以上が避難した。同日夜になっても現揚周辺の放射線量は下がる気配をみせず、工場内では臨界状態が依然続いている可能性が強まった。密閉のよくない建物から漏れた放射能は周辺を激しく汚染し、防ぎようがない状態だ。&lt;br/&gt;　いつになったら家に戻れるのか、住民の不安は高まる一方だ。</記事>
<記事 タイトル="原子力／国内／東海村／臨界事故" サブタイトル="原子力の里」に走る恐怖／臨界被ばく事故／「空気は、水は安全か」／社長ら会見、応答始終あいまい／「死の灰」拡大の恐れ／事故の工場、安全は社員の腕頼み" 文献="1" 人物="1999年10月1日" 年月日="2006/08/25(Fri)" 連続="" 画像="" 横サイズ="650" 移動="6" リンク名="山形新聞／社会1999年10月1日" リンク="" コメント="" ジャンプ="eco_genshiryoku_kokunai_tokai">＜「青い光を見た」と社員は急性放射線障害の症状を訴えた。全身は日焼けしたかのように赤い。放射線量は三十日夜になっても高く、危険区域は広がるばかり。茨城県東海村の臨界被ばく事故は再臨界を起こした可能性も。原子力事故とし国内初の最悪の事態になった。政府は事故対策本部を設置。野中広務官房長官は「経験をしたことがない」と厳しい表情で非常事態を宣言した。専門家は「信じられない事故」と口をそろえ、早急な対応策は手付かず。東海村は一九五七年、日本で初めて「原子の火」がともった地。身近な原子力の暴走に住民の恐怖が広がった。＞＝1面に関連配事&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;　「役場は、なぜもっと早く連絡をしないのか」「水は安全なのか」−。事故で避難を余儀なくされた周辺住民らからは三十日午後、怒りの声が上がった。&lt;br/&gt;　すぐ近くに住む永山清さん（60）は「一番（放射線の影響が）ひどい時に外にいた。役場の方から説明はない」と憤った。畑に出ていた女性（77）はこれまで避難訓練もしていなかった」と不安顔。&lt;br/&gt;　「水道水は飲めるのか」。東海村役場の災害対策本部には村民から問い合わせが相次いだ。しかし詳細な情報はなかなか入らない。同本部の幹部は「本当に放射能漏れは収まったのかどうか‥」と頭を抱えた。&lt;br/&gt;　村内の小学校六校と中学校二校の児童・生徒約三千百人は一時、校舎内で…待機した。村立東海南中学校には、生徒の親から「うちの子は大丈夫か」「しばらく学校に置いて」などの電話が殺到。若松宏教頭は「こういう事故は、やはり恐ろしい」とつぶやいた。&lt;br/&gt;　「詳しい情報は入っていません」「確認中です」。科学技術庁で記者会見したジェー・シー・オーの木谷宏治社長らは、施設での放射線量や事故原因などについてあいまいな答えを繰り返した。原子力政策を推し進める通産省にも大きなショックが。広瀬勝貞事務次官は「原子力は安全確保が重要なテーマ」と厳しい表情を崩さなかった。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;3人中２人　第五福竜丸より重症&lt;br/&gt;　「３人のうち２人は（米国の水爆実験で被ばくした）第五福竜丸の患者より重症だ」−。被ばくした核燃料加工会社ジェー・シー・オー社員大内久さん（35）ら三人が治療を受けている千葉市の科学技術庁放射線医学総合研究所では三十日午後七時から、佐々木康人所長ら六人が記者会見、緊張した表情で百人近い報道陣に状況を説明した。&lt;br/&gt;　三人が浴びた放射線量について質問が相次いだが、佐々木所長は「まだ一度の検査だけなので、はっきりとは言えない」と答えるにとどまり、容体について「救命には全力を尽くす」と強調した。&lt;br/&gt;　大内さんは事故直後に一時、意識をほぼ失ったが、その後は問い掛けに反応するようになった。篠原さんも下痢で脱水症状となり「水がほしい」と繰り返し、滅菌水を飲んでいるという。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;「死の灰」拡大の恐れ&lt;br/&gt;事故の工場、安全は社員の腕頼み&lt;br/&gt;　臨界事故が起こった核燃料加工会社ジェー・シー・オーの工揚では、三十日深夜になっても、臨界状態が続いていることをうかがわせる高い中性子線量が測定され続けた。工揚の周辺では既に核分裂でできる「死の灰」で汚染されていることも確認された。&lt;br/&gt;　臨界が続いてウランが過熱したり、最悪の場合は爆発して、放射能が強く寿命も長い「死の灰」がさらに遠方までまき散らされる恐れも否定できない。風向きによってはさらに避難や屋内待機の範囲が拡大することもあり得る。&lt;br/&gt;　工場では事故発生時、固体のウラン酸化物を硝酸に溶かし、不純物を取り除く作業をしていた。&lt;br/&gt;　同社によると、事故は硝酸への溶解を終え、ウラン化合物を沈殿させるための沈殿槽に移し替える時に起きた。通常の作業では、臨界に達しないように一回に扱うウランを２．３`以内に制限している。&lt;br/&gt;　だが、この試験工場では溶解槽などへ移す量の調節は事前に手動で行い、移行量が基準をオーバーするのを防ぐ装置はなかった。安全はウラン濃度を見ながらの社員の撒調整にかかっていた。&lt;br/&gt;　被ばくした社員の一人は「約十六`のウランを沈殿槽に（配管を通じて）移している時に青い光が出た」と話しており、沈敷槽への許容量をオーバーして、濃度が高まり、臨界に到達したとみられる。&lt;br/&gt;　この沈殿槽は格納容器には入っておらず、作業室そのものも密閉度は低かった。&lt;br/&gt;　燃料は、ブルトニウム・ウラン混合酸化物（MOX）燃料に加工され、高速増殖炉実験炉「常陽」で燃料照射実験に使われることになっていた特殊なもの。通常の原発燃料に比べて縮度が高いのもこのためで、臨界の危険も高かった。&lt;br/&gt;　同社によれば、常陽向けの燃料製造は過去十年間同じ工程で行っており、最近工程の変更などはしていない。社員三人もベテランだったという。</記事>
<記事 タイトル="原子力／国内／東海村／臨界事故" サブタイトル="初の臨界事故、3人被ばく／核燃料工場２人が重症、１０キロ圏は屋内退避" 文献="1" 人物="1999年10月1日" 年月日="2006/08/25(Fri)" 連続="" 画像="" 横サイズ="650" 移動="7" リンク名="山形新聞／総合1999年10月1日" リンク="" コメント="" ジャンプ="eco_genshiryoku_kokunai_tokai">＜三十日午前十時三十五分ごろ、茨城県東海村石神外宿の核燃料加工会社ジェー・シー・オー（本社東京都港区）の東海事業所転換試験棟で、放射能漏れの警報が鳴り、三人が被ばくして倒れた。二人は嘔吐（おうと）や下痢症状があり、意識はあるが重症。被ばく量は少なくとも八シーベルトと、原爆被ばくに匹敵するレベル。核分裂の連鎖反応による日本初の臨界被ばく事故とみられ、同日夜には再び臨界状態になった可能性がある。茨城県は半径十`以内の住民に屋内退避を求めた。住民約百六十人が避難するなど、日本の原子力史上、最悪の事態になった。政府は事故対策本部を設置。同日夜の初会合で小渕恵三首相が「引き続き放射能の影響も懸念される厳しい事態だ」と述べ、野中広務官房長官も「経験したことのない事態」と危機感を示した。＞　＝28、29面に関連記事&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;　茨城県警などによると、事故当時、ウランを硝酸で溶かす作業中で、社員は「青い光を見た」と話している。沈殿槽と呼ばれる容器にウラン化合物を移す際、制限値の二・三`を超える約十六`の放射性物質を入れ、臨界に達したらしい。&lt;br/&gt;　扱っていたウランは高速増殖炉「常陽」の燃料。通常の原発は濃縮度五％以下のウランを使うが、約一九％の高濃度ウランだった。&lt;br/&gt;　被ばくした三人は、いずれもジェー・シー・オー社員の大内久さん（35）、篠原理人さん（39）、横川豊さん（54）。国立水戸病院から千葉市の放射線医学総合研究所にヘリコプターで運ばれたが、大内さんは医師の呼び掛けにこたえない状態。篠原さんは意識がもうろうとしている。&lt;br/&gt;　事故直後、周辺の舟石川測定所などでは空間線量率が通常の約七〜十倍に上昇。このため茨城県警は周辺三`の道路を封鎖、二百b以内を立ち入り禁止とし、東海村の避難要請などで約百六十人が避難した。&lt;br/&gt;　現場はJR常磐線東海駅の北西約二`。周辺には小学校や幼稚園、民家、商店があり、東海村などは、学校や幼稚園に窓を閉め、外に出ないよう指示した。科技庁などによると、地内では、午後五時現在、放射線量が通常の約一万〜二万倍に達した。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;住民を第一に&lt;br/&gt;　政府が対策会議&lt;br/&gt;　政府は三十日午後九時から小渕恵三首相を本部長とする東海村臨界被ばく事故対策本部会議を首相官邸内の危機管理センターで開き、事故の状況分析をするとともに今後の対策を協議した。&lt;br/&gt;　首相は冒頭、今回の事故について「引き続き放射線の影響も懸念される厳しい事態と判断される。住民の安全を第一に万全を期して対処する」と述べた。&lt;br/&gt;　首相のほか有馬朗人科技庁長官等関係閣僚や省庁幹部が出席した。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;＜解説＞　核燃料加工会社、ジェー・シー・オーの事故は、日本初の臨界事故とみられる。核分裂反応が連鎖的に起こる臨界事故を防止するために原子力施設では、何重もの防止策が設けられている。臨界事故は原子力施設では決してあってはならない事態だ。&lt;br/&gt;　事故があった施設では、同日夜になって中性子のレベルが上昇、核分裂生成物質が検出されるなど事態は深刻化。施設周辺の放射線レベルの急上昇、住民の避難や退避、社員の重症放射線障害など、いずれも日本の原子力開発史上例がない事態で、原子力事故の恐怖と影響の大きさをまざまざと見せつけた。&lt;br/&gt;　施設では、高速増殖炉実験炉常陽のための燃料製造の一部を行っていた。ウランの濃縮度は約一九％と、通常の軽水炉燃料の約五％に比べて高く、核物質が臨界に達する危険も大きい。念には念を入れた臨界防止対策が取られているはずだったが、それが完全に裏切られた。万一の事故が起こった時の対策も極めて不十分だった、と言える。&lt;br/&gt;　事故のあった施設は、日本の原子力の研究開発体制の中ではほんの小さな歯車の一つにすぎない。小さな歯車の狂いが、これほどまでに重大な事態を引き起こす危険性を常に秘めていることに、原子力の研究開発が持つ危うさがある。関係者にその自覚がどこまであったのか、疑問を抱かざるを得ない。&lt;br/&gt;　多くの関係者が「信じられない事故」と口をそろえる今回の事故によって、国が進める原子力開発に対する市民の不信感は決定的なものになるだろう。</記事>
<記事 タイトル="原子力／国内／東海村／臨界事故" サブタイトル="原子力発電所／東海村，臨界被ばく事故／ドキュメント（30日の時間と事件）" 文献="1" 人物="1999年10月1日" 年月日="2006/08/25(Fri)" 連続="" 画像="" 横サイズ="650" 移動="8" リンク名="山形新聞／社会1999年10月1日" リンク="" コメント="" ジャンプ="eco_genshiryoku_kokunai_tokai">東海村臨界事故ドキュメント&lt;br/&gt;【30日】&lt;br/&gt;10時35分こごろ　ジェー・シー・オー東海事業所で作業員3人が被ばくし倒れる。東海村消防本部に通報&lt;br/&gt;10・38　現場から約2キロの測定所で通常の約10倍の放射線量を測定&lt;br/&gt;11・30　消防本部からひたちなか西署に連絡入る。三消防本部が被ばくした3人を国立水戸病院に搬送&lt;br/&gt;11・34　東海村役場に会社から「臨界事故の可能性がある」と連絡&lt;br/&gt;11・39　事業所敷地内で、通常の4000倍以上の放射線量を測定&lt;br/&gt;12・00　ひたちなか西署が対策本部設置&lt;br/&gt;12・10　同署が現場から半径200bを立ち入り規制&lt;br/&gt;12・15　東海村が災害対策本部設置&lt;br/&gt;12・30　防災無線で「外に出ないでください」と呼び掛け。小渕恵三首相に事故の一報&lt;br/&gt;12・50　県道を現場から3`手前で通行止め&lt;br/&gt;13・35　現揚近くの久慈川からの取水を停止&lt;br/&gt;13・56　会社が現場から半径500b以内に避難勧告を出すよう村に要請&lt;br/&gt;15・00　村長が半径350b内の39世帯、約120人の住民に避難を要請。政府が科学技術庁長官を本部長とする事故対策本部を設置&lt;br/&gt;15・20分すぎ　被ばくした3人を千葉市の放射線医学総合研究所に移送&lt;br/&gt;16・00　茨城県が原子力災害対策本部を設置&lt;br/&gt;16・00ごろ　茨城県県那珂町で放射線量が急上昇&lt;br/&gt;16・25　那珂町が町内の小中学校などに出していた待機勧告を解除&lt;br/&gt;17・00　コミュニティーセンターに避難の住民81人に&lt;br/&gt;17・30　東海村村長が会見で「臨界状態が続いているようで現場周辺に近寄れない」&lt;br/&gt;18・20　「事故に強い憤りを感じる」と茨城県知事。事業所玄関付近で中性子の数値が上昇、社員や関係者が避難&lt;br/&gt;18・45　東海村の学校で待機していた児童・生徒がすべて帰宅&lt;br/&gt;19・00　東海村の避難住民が142人に。放射線医学総合研究所が「重症の２人はかなりの量を被ばくしたとみられる」と発表&lt;br/&gt;20・00すぎ　原子力安全委員会が再臨界を起こしている可能性があるとの見解示す。放射線医学総合研究所の医師が「2人は第五福竜丸より重症」と語る&lt;br/&gt;20・30　警察庁が事故対策警備本部を設置&lt;br/&gt;21・01　首相が政府の事故対策本部の初会合で「引き続き放射能の影響も懸念される厳しい事態」&lt;br/&gt;21・30すぎ　官房長官が会見で「わが国で経験したことのない事態」と述べ、内閣改造先送りの方針示す&lt;br/&gt;21・45ごろ　東海村役場が「午後7時すぎ、中性子線量は1時間当たり最高4．5_シーベルトという高い数値を計測。現場隣接地から核分裂反応で生じるセシウム138を検出」と発表&lt;br/&gt;22・00　自民党が対策本部を設置&lt;br/&gt;22・00すぎ　陸上自衛隊東部方面総監部の化学防護隊員らが勝田駐屯地で待機へ&lt;br/&gt;22・28　JR常磐線が水戸―日立間で運転中止&lt;br/&gt;22・30　茨城県が現場から半径10キロ以内の住民に屋内退避求める。文部省は同範囲の幼稚園と学校に10月1日の休校を要請&lt;br/&gt;23・00ごろ　常磐自動車道の東海パーキングエリア閉鎖</記事>
<記事 タイトル="原子力／国内／東海村／臨界事故" サブタイトル="盲点―小規模工場の安全／事故、想定せず？" 文献="1" 人物="1999年10月1日" 年月日="2006/10/02(Mon)" 連続="" 画像="" 横サイズ="650" 移動="9" リンク名="山形新聞／社会19991001" リンク="" コメント="一挙に関心を寄せた核燃施設対策" ジャンプ="eco_genshiryoku_kokunai_tokai"></記事>
<記事 タイトル="原子力／国内／東海村／臨界事故" サブタイトル="臨界状態は終息／中性子値ゼロに、退避継続／被ばく４９人／手抜き作業が原因" 文献="1" 人物="1999年10月1日" 年月日="2006/11/12(Sun)" 連続="" 画像="" 横サイズ="650" 移動="12" リンク名="山形新聞夕刊1999年10月1日" リンク="" コメント="" ジャンプ="eco_genshiryoku_kokunai_tokai">＜茨城県東海村の核燃料加工会社ジェーシー・オー東海事業所で放射能が漏れて社員三人が重度の被ばくをした日本初の臨界事故で、原子力安全委員会の佐藤一男委員長は一日朝の会見で、連鎖的な核分裂反応の際に出る中性子値がゼロになったことなどから「臨界が一応、終息した」との見解を示した。同社は、工程などを省いた手抜き作業であることや茨城県警から事情聴取されたことを認めた。同社の責任問題に発展する可能性が高まった。　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　＝2、3面に関連記事＞&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;手抜き作業が原因&lt;br/&gt;　政府の対策本部が同日未明に事業所沈殿槽の周囲を外から冷却している水を抜く作業をした結果、連鎖反応を起こす中性子の量が減り、臨界を脱した。&lt;br/&gt;　臨界が長時間続き、周囲に汚染が広がるという国内最悪の原子力施設事故は事故発生以来約二十時間ぶりに終息に向かったが、政府の対策本部は同日午前の会合で屋内退避措置を当面続けることを確認した。&lt;br/&gt;　ジェー・シー・オーの森田洵（まこと）総務部長は一日午前の記者会見で、本来は配管を通じて行う装置内への硝酸の供給を、ステンレス製のバケツで行うなどずさんな作業が原因であることを認めた上で「明らかな規則違反だ」と述べた。&lt;br/&gt;　科技庁によると、敷地内外十四カ所すべてで中性子が検出限界以下になった。対策本部は一日午前九時前、臨界停止を確実にするために、中性子を吸収するホウ素を含む水の施設内への注入する作業を始めた。&lt;br/&gt;　橋本昌同県知事は、半径十`以内の九市町村住民三十一万三千人には引き続き屋内に退避するよう要請。幼稚園や小、中学校などが休校園し、周辺三百五十bの立ち入り禁止措置も続いた。&lt;br/&gt;　野中広務官房長官らによると、一日朝までに、重度の被ばく者三人を救助した東海村の消防署員三人、社員らに新たな被ばくが確認され、総計四十九人となった。&lt;br/&gt;　重症の社員三人は放射線医学総合研究所で治療を継続。嘔吐や下痢は止まり、小康状態だが、今後さらに放射線障害が起こる可能性もあり、予断を許さないという。&lt;br/&gt;　科技庁などは、沈殿槽の周囲を覆っている冷却容器中の水が核反応で出る中性子を反射し、核分裂が起こる確率を高めている可能性が高いと判断。同社社員らが一日午前三時すぎから水抜きを実施。排水バルブの操作だけでは水が十分に抜けず、ハンマーで配管を壊すなどした。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;安全確保が大前提&lt;br/&gt;　政府は一日午前、東海村臨界被ばく事故で、政府対策本部（本部長・小渕恵三首相）の二回目の会合を首相官邸で開いた。周辺住民に出されている屋内退避措置については、安全対策に万全を期す必要があるとして、当面継続する方針を確認した。同対策本部も最終的に安全が確認されるまで継続する。&lt;br/&gt;　会議では臨界状態が一応の終息に向かい、放射線量も著しく正常化に向かっていることが報告された。&lt;br/&gt;　首相は冒頭あいさつで「安全確保が大前提だ。まず放射線の影響を食い止めることが緊急の課題だ」と述べ、周辺住民や地域への影響を最小限に食い止めるため、全力を挙げる考えを強調した。&lt;br/&gt;　屋内退避措置などの取り扱いについては「事態をよく見極めて茨城県ともよく相談してもらいたい」と述べ、現地の状況を精査した上で、慎重に検討するよう指示した。&lt;br/&gt;　首相は、日本で初めての臨界事故の発生について「地域の住民、国民に多大な迷惑、不安を与えたことは誠に遺憾だ」と強調した。</記事>
<記事 タイトル="原子力／国内／東海村／臨界事故" サブタイトル="国内事故で最悪、レベル4に分類" 文献="1" 人物="1999年10月2日" 年月日="2006/08/24(Thu)" 連続="" 画像="" 横サイズ="650" 移動="9" リンク名="山形新聞／総合1999年10月2日" リンク="" コメント="" ジャンプ="eco_genshiryoku_kokunai_tokai">&lt;img src=img/1704.gif align=left&gt;　原子力施設の事故の規模を示す「原子力発電所の事象の国際評価尺度」（国際評価尺度）は、事故の深刻さに従い「0」（尺度以下）から「7」（深刻な事故）までの八段階に分類、国が評価する。&lt;br/&gt;　科学技術庁は今回の茨城県の東海村臨界被ばく事故について、二人が極めて多量の被ばくをした恐れと、周辺住民も法定限度を超える被ばくをした恐れがあるため、国内の事故では最悪の「4」に分類した。「4」は外部への影響を伴う事故のうちでは「所外への大きなリスクを伴わない事故」と定められている。&lt;br/&gt;　同レベルの事故としては一九八〇年、フランスのサンローラン原発で起きた炉心の部分的な損傷事故がある。ただ、この事故では環境への放射性物質の放出はなかった。&lt;br/&gt;　ひとつ上の「5」（所外へのリスクを伴う事故）には五七年の英ウインズケール（現セラフィールド）原子炉事故と、七九年の米スリーマイルアイランド原発事故がある。&lt;br/&gt;　八六年の旧ソ連チェルノブイリ原発事故が最悪の「7」となっている。&lt;br/&gt;　これまでの国内最悪の事故は、九七年に同じ東海村で起きた旧動燃アスファルト固化施設の火災爆発事故の「3」だった。</記事>
<記事 タイトル="原子力／国内／東海村／臨界事故" サブタイトル="屋内退避を解除／半径３５０ｍ避難は継続／会社側説明変更、「大型容器」が原因、茨城県警、製造部長らから聴取" 文献="1" 人物="1999年10月2日" 年月日="2006/08/24(Thu)" 連続="" 画像="" 横サイズ="650" 移動="10" リンク名="山形新聞／総合1999年10月2日" リンク="" コメント="" ジャンプ="eco_genshiryoku_kokunai_tokai">＜茨城県東海村の核燃料加工会社ジェー・シー・オー東海事業所の日本初の臨界被ばく事故で、野中広務官房長官は一日午後三時すぎ、官邸で記者会見し、@臨界の終息を確認A放射線量が平常値に戻ったB原子力安全委員会が安全を確認―を理由に、周辺半径十`以内の九市町村の住民三十一万三千人に出されていた屋内退避要請を解除すると発表した。これを受け、茨城県は同四時半、十八時間ぶりに正式解除した。東海村の半径三百五十b以内の避難勧告は継続するが、二日昼前後に解除の見通し。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;　事故原因について同社は一日夕、工程を省いたことがきっかけだとの説明を変え、本来入れるべきでない大きな袴器にウラン化合物を移したため臨界に達したとの見方を示した。&lt;br/&gt;四十九人が被ばくした原子力史上最悪の事故を重視した茨城県警は、ずさんな作業が原因と見て刑事責任の追及を視野に入れ関係者の事情聴取を続けている。&lt;br/&gt;　被ばくで重体となった同社員大内久さん（三五）と篠原理人さん（三九）らが入院している放射線医学総合研究所は同日夜、二人の容体は「リンパ球が激減しており予断を許さない」と説明、骨髄移植を検討していることを明らかにした。&lt;br/&gt;　事故の経過について科学者術庁で会見した同社の立田豊東京事務所課長によると、通常は硝酸に溶かしたウラン化合物を「貯槽」と呼ばれる容器に入れることになっていたが、事故の際、社員らは沈殿槽という大型の容器に入れて混ぜようとした。&lt;br/&gt;　貯槽は入る量が制限されているが、沈殿槽はこのような安全形状になっておらず、臨界に達する量が入ってしまったという。立田課長は「リーダーの認識不足による指示ミスだったのではないか」と述べた。&lt;br/&gt;　避難勧告地域の住民は五十世帯、約百五十人。茨城県はこの地域に居住または勤務する約四百人を対象に近く、被ばくの有無確認などの健康調査を行う。&lt;br/&gt;　この地域では、臨界反応による放射能汚染の恐れが残ることから、科技庁が周辺環境中の詳しい調査を行う。一日、東海村役場を訪れた稲葉大和科学技術政務次官は「避難勧告の解除について、二日午前中に汚染の有無を念入りに調べ、昼前後に決断する」と述べた。一部区間で運転を見合わせていたＪＲ常磐線と水郡線は一日夕、運転を再開した。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;茨城県警、製造部長らから聴取&lt;br/&gt;　茨城県東海村の臨界被ばく事故で、茨城県警は一日、核燃料加工会社ジェー・シー・オーの作業を統括する加藤裕正製造部長ら数人から事情を聴いた。作業中に倒れた三人のうち、症状の軽い横川豊さん（五四）からも既に事情聴取しており、ウラン酸化物の加工工程の把握や事故当時の作業内内容の確認など、原因の究明に乗り出した。&lt;br/&gt;　同社が、ウランの加工作業で一部の工程を省くなど原子炉等規制法に違反した事を認めていることなどから、同県警は同法違反や業務上過失傷害など刑事事件の立件を視野に入れて調べを進める方針。，，mikko，，&lt;br/&gt;2000年07月31日(月) 21時49分，1702，1999年10月2日，，，山形新聞／政治・行政，door.gif，原子力発電所／東海村，原子力不信　列島を走る／見えない恐怖、臨界事故の衝撃（上）&lt;br/&gt;「影響は予想以上」／推進派も厳しい声，，y9，＜多数の被ばく者を出しただけでなく、三十万人以上の住民が屋内退避を強いられ地域社会をまひさせた東海村の臨界被ばく事故。国内最悪の原子力事故は、政府、電力会社だけでなく国民全体にかつてない衝撃を与えた。原子力関連施設の地元では、准進派からも雪崩を打ったように厳しい声が上がる。安全をうたってきた日本の原子力利用の土台を激震が襲った。＞&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;　「何やってんだ、と言いたい」。東海村の中堅幹部は吐き捨てるように述べた。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;誇りの村、一変&lt;br/&gt;　東海村は一九六三年に日本原子力研究所が国内初の原子力発電に成功した「原子力発祥の地」だ。「小学生のころ教科書で知って、村に誇りを持った」＝東海村職員（四二）＝という村民は少なくない。原子力施設が集中立地し、約三万四千人の人口のうち二分の一が原子力関連職場で働く。&lt;br/&gt;　事故で雰囲気が一変した。「原子力は生まれたときからそこにあるものだった。でも事故を知って、子供が学校でどうしているかと、恐怖で失神しそうになった。許せない」と小学校二年の女児を持つ主婦（三〇）。&lt;br/&gt;　橋本昌茨城県知事は事故当日の三十日、九七年三月の事故以来、操業を停止していた東海村の核燃料サイクル開発機構（旧動燃）再処理工場について、再開のお墨付きを与える報告書を公表する予定だったが、中止。「先行きが全く見えなくなった」と核燃機構幹部。村上達也村長は「そんなことを考えている場合ではない」と、一気に態度を硬化させた。&lt;br/&gt;　核燃料サイクル施設が集中する青森県の木村守男知事は「事故の影響は想像以上だ。県民にも国民的にも。&lt;br/&gt;人体事故が起きたことは重大」と硬い表情。知事の自宅に抗議電話が相次いだと、県幹部は打ち明ける。&lt;br/&gt;　自民党青森県連の山内利夫幹事長は「六ヶ所村のウラン濃縮工場の運転も見合わせるべきだ。東海村の安全協定も全く効果を発揮していないようだ」と言う。&lt;br/&gt;　野中広務官房長官は一日午前の会見で「わが国の原子力行政、国民の原子力に対する安心度についてご心配いただくものではない」と述べた。だが、各地の不信感の増大は過去に例を見ない様相だ。&lt;br/&gt;　プルサーマル、原発増設など、この先、さまざま計画を抱える福島、福井県でも推進派から厳しい発言が相次いでいる。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;　次元が違う&lt;br/&gt;　自民党福島県連の一日の会合では「住民にとって安全神話が崩れる状況になっているのでは」などの意見が続出。&lt;br/&gt;　福井県議会の「県会自民党」幹事長、関孝治県議は「これまでの事故とは次元が違う。高速増殖炉もんじゅの運転再開や、原電敦賀原発の増設問題にも当然影響する。県民の不安を取り除くことは簡単ではない」と言い切った。&lt;br/&gt;</記事>
<記事 タイトル="原子力／国内／東海村／臨界事故" サブタイトル="安全宣言にも不安なお／住民、こわごわ外へ、「危険に変わりはない」／重傷者に骨髄移植、放医研検討／野菜の安全確認、茨城県知事" 文献="1" 人物="1999年10月2日" 年月日="2006/08/25(Fri)" 連続="" 画像="" 横サイズ="650" 移動="11" リンク名="山形新聞／社会1999年10月2日" リンク="" コメント="" ジャンプ="eco_genshiryoku_kokunai_tokai">＜家でじっと息を潜めていた住民が一昼夜ぶりに街に戻った。愛犬と散歩する人も。茨城県東海村の臨界被ばく事故で一日午後「安全宣言」が出された。不自由な生活を強いられていたのは約三十一万人。「とにかくよかった」「被ばくしていないか」。住民の表情は榎雑だ。公民館には遅くまで検査を求める長い列ができ、受診できない人も。ストップしていたJRは運転を始めたが、人出は少なく、多くの店が閉まったままだった。深刻な被害に広島、長崎は医療チームの派遣を決定、半径三百五十bの″危険区域″は残った。約八十人はさらに避難生活を続け、放射能汚染への怒りと不安は夜になってもぬぐえなかった。＞&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;　住民を「見えない恐怖」に陥れた茨城県東海村の臨界被ばく事故。現場から半径十`の区域に前夜から出されていた「屋内退避要請」が解除されたJ日午後、人通りが途絶えていた街に、食料品を求める住民らの姿が戻り始めた。しかし、ぬぐえぬ不安を表すかのように、ほとんどの商店はシャツターを閉めたままで、人影はまばら。「被ばくしたのではないか」「飲み水は大丈夫なのか」。住民は自分の体や環境汚染への不安を口にした。&lt;br/&gt;　放射能汚染の測定が行われた公民館には、被ばくの恐怖におびえる住民二千人が検査を求めて押し寄せ、長い列をつくった。&lt;br/&gt;　県の正式な解除より約一時間半早い午後三時すぎ、野中広務官房長官がテレビの会見で十六時間半ぶりに退避要請を解除。さっそく犬を連れて散歩に出る人の姿も見られたが、人通りは少なく、半径三百五十b以内は立ち入り禁止のまま。&lt;br/&gt;　住民が避難している東海村の舟石川コミュニティーセンターを、目を赤くした村上達也村長が訪れた。「念には念を入れて検査中。明日の午前中まで待ってほしい。もう一晩、勘弁を」と呼び掛けると、住民から「えー」という不満の声が漏れた。&lt;br/&gt;　一日夜は、一約八十人が床などで毛布にくるまって二日日の不安な夜を過ごした。近くのコンビニエンスストアからは弁当が差し入れられた。&lt;br/&gt;　現場から約三百bのところでラーメン店を経営する吉村勝安さん（59）は「飲料水の汚染が心配。景気も悪いのに、いつ店を開けるのか」と話す。事故現場近くに住む永山清さん（60）は「放射線量の数値が下がっているといっても危険なことに変わりはない。家や庭が汚染されていたらどこに住めばいいのか」。&lt;br/&gt;　JR東海駅に近い中央公民館では屋内退避が解除された直後から、汚染の測定を受けるため、住民が家族連れで殺到。長い列を前に係員が「五、六時間待ちです」と翌日検査を受けるよう呼び掛けたが「役場の相談電話が通じないから来たのに」「心配ないというなら専門家を呼びなさい」と詰め寄る住民もいた。&lt;br/&gt;　同センター近くのコンビニには退避要請の解除後、住民が次々と駆け付けて弁当や菓子パンを買っていた。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;重傷者に骨髄移植&lt;br/&gt;　茨城県東海村の臨界被ばく事故で、被ばくした核燃料加工会社の社員三人が入院している科学技術庁放射線医学総合研究所（放医研、千葉市稲毛区）は一日夜、記者会見し、重症の大内久さん（三五）と篠原理人さん（三九）について、依然リンパ球の減少が続いており、骨髄移植を検討していることを明らかにした。鈴木元・放射線障害医療部室長は「骨髄移植の準備を進めている。数日中に決断しなければならない」としている。&lt;br/&gt;　症状が比較的軽い横川豊さん（五四）は安定が続いている。&lt;br/&gt;　放医研によると、三人は体温、血圧などは正常に近い状態となり、若干の炎症や中枢神経障害の兆候が出ているものの容体は比較的安定。大内さんもはっきりした応答をし、篠原さんの意識状態も改善している。&lt;br/&gt;　エックス線撮影などでも感染症などの重大な異常は認められなかった。&lt;br/&gt;　しかし重症の二人は相当の放射線を受けており、数日間の潜伏期間を経て重い障害が現れる可能性が高いという。&lt;br/&gt;　重症の二人は、駆け付けた家族らと無菌病室で数分間の短い対面をした。医師が予断を許さない病状などと説明すると、家族はショックを受けた様子だったという。症状の軽い横川さんは、病室で事情聴取を受け「バチッと音がし、青い光を見た」と話したという。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;野菜の安全確認、茨城県知事&lt;br/&gt;　東海村臨界被ばく事故で茨城県の橋本昌知事は一日夜、現場周辺十キロ圏内の六地点でとれた六品目の野菜についてサンプリング検査した結果、「いずれも放射能は検出されず、安全であることが確認された」と発表した。&lt;br/&gt;　対象になったのは、現場から約１〜8キロ以内でとれたピーマン（那珂町本米崎）、小松菜、大根（那珂町横堀）、サツマイモ（東海村石神宿外）、ネギ、白菜（東海村舟石川）などで、県公害技術センターが検査を実施。同県では、これを受けて県産農産物の安全性について積極的にＰＲして行く方針。</記事>
<記事 タイトル="原子力／国内／東海村／臨界事故" サブタイトル="原子力発電所／東海村，周辺住民、危険「こんな近くに」／６割、事故会社知らず／放射線監視、県内は平常値保つ" 文献="1" 人物="1999年10月2日" 年月日="2006/08/25(Fri)" 連続="" 画像="" 横サイズ="650" 移動="12" リンク名="山形新聞／社会1999年10月2日" リンク="" コメント="" ジャンプ="eco_genshiryoku_kokunai_tokai">　「こんなに危険な施設が近くにあったとは」―最悪の事態となった東海村臨界被ばく事故で、現場周辺の住民の六割以上は核燃料加工会社「ジェー・シー・オー」の存在をまったく知らなかったことが、共同通信が一日午後、屋内退避措置の対象となった現場から十キロ圏の住民計百人の緊急電話アンケートで分かった。&lt;br/&gt;　住民がもっとも不安に感じているのは「被ばくの有無」。屋内退避が解除されても、住民の「見えない恐怖」は続いている。事故に不安や怒りを口にする人がほとんどだが、東海村の回答者の半数強が関連施設の集中立地は「やむを得ない」と回答。原子力関連施設で働く人が多い東海村や周辺市町村の複雑な住民感情がのぞいた。&lt;br/&gt;　アンケート対象は東海村の七十七人と、十`圏の縁に当たる金砂郷、大宮、瓜連の三町の住民二十三人の計百人。回答者は八十三歳から二十三歳までの男性四十五人、女性五十五人。&lt;br/&gt;　「現在、不安に感じていること」を複数回答で尋ねると、百人中五十七人が「被ばくの有無や健康問題」と答えた。以下、「水や食料の安全性」（三十六人）、「事故の再発」（三十人）と続く。主婦らを中心に「事故を知ったのが遅かったので、しばらく窓を開けていた」「外に干していた洗濯物はどうしたらいいのか」と話す人も目立ち、茨城県が屋内退避を解除しても「見えない恐怖」に対して大きな不安が残るようだ。&lt;br/&gt;　事故を起こしたジェー・シー・オーについて「知らなかった」が六十三人で最も多かった。「業務内容も含めて知っていた」と答えたのは十七人で、うち十五人が東海村在住者。「社名だけ知っていた」という人は二十人。原研（日本原子力研究所）や前の動燃（現核燃料サイクル開発機構）の知名度は高いが、事故が起きて初めて「民間施設でウランを扱っていた」という事実に驚いた人が多かった。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;貯槽使わず事故を招く&lt;br/&gt;　東海村臨界被ばく事故は、被ばくした社員らが通常とは異なる手順で作業し、本来使わない沈殿槽に制限値を超える量のウランを入れたため臨界状態になったことが一日夕、燃料加工会社ジェー・シー・オーの会見で分かった。&lt;br/&gt;　会見した近藤哲也・技術部課長によると、事故を起こした工程では本来、精製された酸化ウランをステンレス製容器内で硝酸に溶かし、細長い円筒彬の貯槽に送り込む。貯槽内で約三時間かき混ぜ、貯槽下部から製品の硝酸ウラニル溶液を取り出す。&lt;br/&gt;　しかし、社員から事情を聴いた結果、実際は貯槽の代わりに沈殿槽にローとで流し込みかき混ぜていた。&lt;br/&gt;　貯槽は、ウランが一かたまりになって核分裂連鎖反応が始まる臨界量に達しないよう設計してあるが、沈殿槽はこうした安全形状に作られていない。このため、沈殿槽に制限値の二・四`を大幅に上回るウランを集めてしまったことが、臨界事故を招いた。&lt;br/&gt;　社員は事故の際、沈殿槽にウランで十六キロを数回に分けて入れようとしたが、実際に入った量は分からないという。近藤課長は「貯槽の代わりに沈殿槽を使っても、あまり時間の短縮にはならない。なぜ沈殿槽を使ったのかは現時点では全く分からない」と述べた。東京で記者会見した立田豊・東京事務所課長は「三人のうちの一人がリーダー的な存在だった。認識不足による指示ミスだったのではないかと思う」と話した。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;放射線監視、県内は平常値保つ&lt;br/&gt;　県内では山形市にある県衛生研究所が、昭和四十八年度から、科技庁の委託を受けて放射線監視事業を行っている。原子力発電施設の立地県とその隣接県が委託事業の対象。土壌や大気、水のほか、県内で流通する食品の放射能を調査している。&lt;br/&gt;　このうち大気については衛生研究所に設置して二十四時間、放射線量率を測定している。衛生研究所では「事故以降も、平常レベルを保っている」と説明している。&lt;br/&gt;　本県は原発施設のある新潟、福島、宮城の三県に隣接しているが、県では現在、放射能漏れによる災害の発生は想定していない。県衛生研究所に‥‥服など専用の防災機器については「県内の消防署でも備えているところはないと思われる」（県消防防災課）。庁内でも、放射能に関してどの課がどんな業務を担当しているのかといった明確な把握がされていなかった。今回の事故をきっかけに環境企画課では「関係部局での調整を図りたい」としている。</記事>
<記事 タイトル="原子力／国内／東海村／臨界事故" サブタイトル="許可なく製造工程を変更／会社ぐるみ安全軽視／ウラン化合物、手作業で運搬　が明るみに" 文献="1" 人物="1999年10月2日" 年月日="2000年09月03日(日)" 連続="" 画像="" 横サイズ="650" 移動="13" リンク名="山形新聞1999年10月3日／総合" リンク="" コメント="" ジャンプ="eco_genshiryoku_kokunai_tokai">＜茨城県東海村の臨界被ばく事故で、核燃料加工会社ジェー・シー・オー（JCO、木谷宏治社長）は、国の許可なしに作業工程を勝手に変更、作業マニュアルも改訂し、ステンレス容器を使って作業員がウラン化合物を手作業で運べるようにしてしまうなど、組織ぐるみで違法行為を行っていたことが二日、分かった。同社が茨城県庁で記者会見して明らかにした。＝3、19面に関連記事＞&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;　ステンレス容器使用が事故の直接原因とは言えないが、史上最悪の事故の背景に会社ぐるみの安全性軽視の姿勢があったことが判明し、同社の責任だけでなく、核燃料製造企業を規制する国のチェック体制も問われそうだ。茨城県警も違反内容を調べる方針。&lt;br/&gt;　一方、東海村は同日午後六時半、事故現場から半径三百五十b以内の避難勧告を五十一時間半ぶりに解除。三十九世帯、百二十人の住民生活は正常に戻り始めた。&lt;br/&gt;　記者会見したＪＣＯの小川弘行計画グループ長によると、国の承認を受けた方法は、酸化ウラン粉末を溶解槽内で硝酸に溶かし、細長い円形の貯塔に送り込む。&lt;br/&gt;　しかし、事故当時は溶解槽ではなく、バケツに似たステンレス製容器の中で溶かしていた。これまで同社は「ステンレス製容器を使うのがマニュアル手順」としていたが、このマニュアル自体が法律で認められていない方法を記したものだった。この方法は四、五年前から行われ、それを追認する形で、二年前にマニュアルを改訂した。&lt;br/&gt;　このほか、事故原因となった作業は、事故前日の九月二十九日から行われ、沈殿槽には前日既に十一`のウランが入っており、三十日に五`分入れたところで臨界に達した。&lt;br/&gt;　一方、労働省が二日に行った同社の労働者など計百九人の健康調査で、同社やその関連企業の七人が精密検査や再検査が必要と診断された。うち一人は事故後に嘔吐や下痢の症状を訴えており、精密検査を受けた。&lt;br/&gt;　また、被ばくして重症の社員、大内久さんは、二日午後、入院先の科学技術庁放射線医学総合研究所（千葉市）から東大病院に転院、臍帯血移植や末しょう血幹細胞移植などの新たな治療法が検討されることになった。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;ＪＯＣ大内さんの被ばく&lt;br/&gt;年平均の1万7000倍&lt;br/&gt;　千葉市の放射線医学総合研究所（放医研）は二日夜、東海村臨界被はく事故で入院したジェー・シー・オー社員三人の被ばく線量について、大内久さんが17シーベルト、篠原理人さんが10シーベルト、横川豊さんが3シーベルトと推定されると発表した。&lt;br/&gt;　大内さんの一七シーベルトは、日本人の年間平均被ばく線量の約1万7000倍に当たり、事故の深刻さをあらためて裏付けた。&lt;br/&gt;　大内さんは二日、東大病院に転院したが、放医研は容体について、一日夜の段階でリンパ球が激減したことなどから、生命の危険があったことを明らかにした。また残る二人については「安定しており、経口食をとり始めた」と説明。&lt;br/&gt;　篠原さんは意識もはっきりしてきたが、リンパ球の減少は続いているという</記事>
<記事 タイトル="原子力／国内／東海村／臨界事故" サブタイトル="小学校など授業を再開／整備不良、社内に緩み、ＪＣＯはコスト削減迫られる／対策なく設置許可、問われる国の安全審査" 文献="1" 人物="1999年10月2日" 年月日="2006/11/13(Mon)" 連続="" 画像="" 横サイズ="650" 移動="18" リンク名="山形新聞1999年10月2日" リンク="" コメント="" ジャンプ="eco_genshiryoku_kokunai_tokai">＜東海村臨界被ばく事故から丸二日たった二日、地元の小学校や幼稚園では授業などを再開、商店もシャッターを開けるなど街に活気が戻り始めた。しかし、依然自宅に戻れない現場近くの住民はいら立ちを募らせており、土下座して謝罪したジェーシーオー社長に怒声と厳しい非難が浴びせられた。　　　　　　＝1面に関連記事＞&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;　事故現場から約八百bと最も近い那珂町の本米崎小学校（児童九十一人、萩谷純郎校長）では、午前八時前から責色い帽子とランドセル姿の児童が次々と登校。始業時にはほとんどの児童八十三人が登校した。&lt;br/&gt;　同級生と手をつなぎ、笑顔で登校した四年生の綿引麻衣ちゃん（九つ）は「ようやく友達に会えてよかった。昨日は家族で（放射能）検査に行った。こんな事故はもう起こってほしくない」と話した。&lt;br/&gt;　東海村の村立舟石川幼稚園にも、午前八時四十分ごろから母親に手を引かれた園児が登園。いつもより多い三十一人が休んだが、長女（四つ）を送りに来た主婦（三七）は「もう特に不安はありません」と明るい表情を見せた。&lt;br/&gt;　同幼稚園では普段、園児を外ではだしで遊ばせるようにしているが、後藤靖代園長（五七）は「安全性が確認できるまで、外で遊ばせるのを控えさせます」。&lt;br/&gt;　東海村の商店街でもスーパーやコンビニエンスストア、飲食店などが平常どおりに営業を始め、徐々に普段の姿に。&lt;br/&gt;　住民の避難場所となっている舟石川コミュニティーセンターでは、ジェー・シー・オーの木谷宏治社長が「心からおわび申し上げます」と謝罪し土下座。帰宅できないことへいら立つ住民約八十人からは「これからの不安を分かっているのか」と怒りの声が飛んだ。&lt;br/&gt;　前日に続き、住民の放射能チェックを実施した東海村の中央公民館。午前九時の開始前に数百人が列をつくった。事故当時着ていた服を持って訪れた佐藤文子さん（四七）は「事情が分からず、事故のころは外を歩いていました」と不安そうだった。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;整備不良、社内に緩み&lt;br/&gt;　　　JCO、コスト削減迫られる&lt;br/&gt;　臨界被ばく事故が起きたジェー・シー・オーは原発用の核燃料製造の中間工程を請け負う民間会社として一九七九年の創立以来順調に業績を伸ばしてきたが、昨年五月には科学技術庁・原子力安全局からウラン輸送に使うトラックの整備不良を指摘されるなど、社内に緩みも見られた。&lt;br/&gt;　原子力安全局は九七年十一月、工場内でバルブの黎備記録に不備があったとして同社に記録管理の徽底を指導。九八年五月にはウラン輸送中に車両故障が発見され、運行に遅れが出たとして車両整備の徴底を指導している。&lt;br/&gt;　同社は「日本核燃料コンパージョン株式会社」として設立され、昨年八月に現在の社名に変更された。内部資料に「住友金属鉱山（東京）の技術を継承している」と記しており、同社の全額出資子会社。従業員は約百五十人だが、管理職の多くは出向組。&lt;br/&gt;　八一年に四百九十五ﾄﾝだった二酸化ウラン粉末の年間生産量を八八年には七百十八ﾄﾝに増やすなど順調に発展。科技庁への許可申請書類などでも「十分な技術の蓄積を行っている」と胸を張ってきた。&lt;br/&gt;　だが、民間信用機関によると、最近は海外の競合会社の存在もあり、コスト削減を迫られていた。ウラン再転換の工程短縮と省人化にも社を挙げて取り組んでいたという。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;臨界事故、対策なく設置許可&lt;br/&gt;　　　　問われる国の安全審査&lt;br/&gt;　茨城県東海村の核燃料加工会社ジェー･シー･オー東海事業所で起こった臨界事故は、同社が国に対して行った施設の設置許可申請では起こり得ない事故とされ、臨界事故対策の設備を設けないまま国の設置許可を受けていたことが、同社の資料などで二日までに分かった。&lt;br/&gt;　同社の不十分な臨界事故対策とともに、それを見逃した国のずさんな安全審査体制が問われることになりそうだ。&lt;br/&gt;　同社が一九九三年に国に提出した申請書によると、今回、臨界事故を起こした転換試験棟の沈殿設備では濃縮度に応じて扱う核物質の量を制限、事前に重さを測って制限値以下であることを確認する方式で臨界安全性を確保。他の施設でも十分な臨界防止の対策を講じるとした。&lt;br/&gt;　このことから、同社は東海事業所内で臨界事故が発生する可能性はないとして「従って、臨界事故に対する考慮は要しない」と結論。これが認められ、国の審査をパスした。&lt;br/&gt;　だが、今回の事故では、事前の計量などが行われないまま、沈殿槽に大量の濃縮度の高いウラン化合物が投入されて臨界事故につながり、臨界事故対策がなかったため、被害を拡大させた。</記事>
<記事 タイトル="原子力／国内／東海村／臨界事故" サブタイトル="現場周辺、避難勧告解除なお慎重／東海村臨界事故で原子力安全委／ＪＣＯ社長、住民に謝罪" 文献="1" 人物="1999年10月2日" 年月日="2006/11/13(Mon)" 連続="" 画像="" 横サイズ="650" 移動="19" リンク名="山形新聞1999年10月2日" リンク="" コメント="" ジャンプ="eco_genshiryoku_kokunai_tokai">＜茨城県東海村の臨界被ばく事故で、原子力安全委員会は二日午前十時四十分から、外部の専門家を交えた緊急技術助言組織会合を科学技術庁内で開き、事故現場半径三百五十b以内の避難勧告の扱いについて検討した。事故現揚となった核燃料加工会社ジェー・シー・オー（JCO）東海事業所周辺の放射線量などの数値は一日午前までにはぼ平常時に戻ったが、施設から依然ガンマ線が出ているため、慎重な考えが大勢を占めたもようで、解除にはなお時間がかかりそうな状況になった。　　　　　　　　＝3面に関連記事＞&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;　冒頭、佐藤一男委員長が「十`圏内の屋内退避は解除できたが、本当の意味での終息のためにさまざまなことを検討しなければならない。問題整理をし、速やかに終息に向かいたい」と発言。モニターで計測した放射線量のデータや、土壌、井戸水などの汚染状況について協議した。&lt;br/&gt;　茨城県警は二日も複数のJCO社員から事情聴取し、事故原因の解明を進めた。&lt;br/&gt;　半径三百五十b以内には、約五十世帯、百五十人が居住しているが、事故後から村内のコミュニティーセンターなどで避難生活が続いている。二日午前、JCOの木谷宏治社長がセンターを訪れ、住民に謝罪した。&lt;br/&gt;　東海村や周辺市町では、学絞の授業が再開。商店も、営業を始めるなど事故から二昼夜が過ぎ、ようやく普段の生活を取り戻し始めた。&lt;br/&gt;　同村の災害対策本部は、希望者について家屋の塀や外壁などの汚染状況を測定。一日に引き続き、村内の公民館で健康診断を実施した。&lt;br/&gt;　茨城県の橋本昌知事は二日午前、事故後初めて現地入りし、政府や東海村の対策本部のメンバーと、今後の対応を協議した。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;　【ウィーン２日共同】国際原子力機関（ＩＡＥＡ）の緊急対応センターで東海村臨界被ばく事故の情報収集に当たっているゴンザレス核放射性廃棄物安全部長は一日、事故原因が「作業の安全に関する明白な規則違反」にあるとの見方を示した。&lt;br/&gt;　年次総会の場で緊急に開かれた事故に関する説明会で同部長は、ウラン酸化物移動の際は、通常は一度に二・四`以内しか扱わないはずなのに事故現場では十六`も一度に沈殿槽に移動させたと指摘、「規則を守り機器を点検していればこうした事故は起き得ない」と述べた。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;被ばく量は発表以上か&lt;br/&gt;　　　　　　　作業員2人&lt;br/&gt;　【ウィーン1日英同】国際原子力機関（lAEA）のゴンザレス核放射性廃棄物安全部長は一日、東海村臨界被ばく事故で被ばくした三人の作業員のうち二人の被ばく量は、発表された八千_シーベルトより多く「一万_シーベルトを超えているもようだ」と述べた。&lt;br/&gt;　lAEA年次総会の揚で緊急開催された事故説明会で「日本政府以外からの未確認情報」として語った。&lt;br/&gt;　緊急対応センターで事故の情報収集に当たったてきた同部長は、三人目の被ばく量は三千ミリシーベルトとの情報を得ているとし、通常の被ばく量は年間二〇ミリシーベルトだと&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;槽にウラン誤注入、単純な人為ミス強まる&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;　東海村臨界被ばく事故は、被ばくした社員が、酸化ウランの硝酸溶液を製造する工程の最中に、本来は粉末製造工程で使われる沈殿槽に大量のウランを誤って入れたため臨界状態になったことがはっきりしてきた。沈殿槽にウランを大量に入れた理由は明らかになっていないが、単純な人為ミスだったとの見方が強まっている。&lt;br/&gt;　燃料加工会社ジェー･シー･オーの説明によると、事故を起こした際に加工していたのは、高速増殖炉実験炉「常陽」用の燃料。&lt;br/&gt;　工場の工程は、粉末製品を作る工程と硝酸ウラン溶液を作る工程のふたつがあり、粉末製品単独でも出荷されることがある。&lt;br/&gt;　事故を起こした一連の作業は、九月十日に始まった。工場では、十日から原料を精製し、酸化ウランの粉末を作る作業を開始。事故前日の二十九日からは、粉末工程でできあがっていた酸化ウラン粉末を、さらに硝酸に溶解する作業を始めていた。&lt;br/&gt;事故が起きた溶液工程では本来、酸化ウラン粉末をステンレス製容器内で硝酸に溶かし、細長い円簡形の貯槽に送り込む。&lt;br/&gt;貯槽内で約三時間かくはん、混合し、貯塔下部から製品の硝酸ウラン溶液を取り出す。&lt;br/&gt;　しかし、社員から事情を聴いた結果、実際は貯塔の代わりに、粉末製造工程で使用される沈殿槽に、ロー卜で制限値を上回る量のウランを流し込みかくはんしていた。&lt;br/&gt;　立田豊・東京事務所課長は「認識不足による指示ミスだったのではないかと思う」と単純な人為ミスだった可能性を指摘している。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;住民から怒声／社長謝罪&lt;br/&gt;　東海村臨界被ばく事故で、核燃料製造会社ジェー・シー・オー（JCO）の木谷宏治社長は二日午前十時ごろ、発生現場の工場から三百五十b以内の住民約八十人が避難している舟石川コミュニティーセンターを訪れ、「あってはならない重大な事故を起こし、心からおわび申し上げます。大変申し訳ありませんでした」と謝罪した。&lt;br/&gt;　木谷社長はホール正面の舞台上に社員ら三人とともに並んで土下座。「できるだけ早い時期に（住民の）退避を解除できるよう最大限の努力をしていきたい」「（再発防止に）誠心誠意取り組んでいくので、どうかご了承ください」とマイクを手に時折声を震わせながら話した。&lt;br/&gt;　「これからの不安を分かっているのか」との追及に、木谷社長は「申し訳ありません」と繰り返すばかりで、住民からの怒声に言葉を詰まらせた。</記事>
<記事 タイトル="原子力／国内／東海村／臨界事故" サブタイトル="科技庁、立ち入り検査／労働省労働基準局も立ち入り検査" 文献="1" 人物="1999年10月3日" 年月日="2006/11/23(Thu)" 連続="" 画像="" 横サイズ="650" 移動="20" リンク名="山形新聞／社会1999年10月4日" リンク="" コメント="" ジャンプ="eco_genshiryoku_kokunai_tokai">　科学技術庁原子力安全局は三日、JCO本社（東京都港区）と東海事業所の二カ所を、原子炉等規制法（炉規制法）に基づき立ち入り検査した。四日以降も継続する。労働省労働基準局も三日、労働安全衛生法に基づき、同事業所を立ち入り検査した。因に承認された作業手順を組織ぐるみで勝手に変えた行為が、炉規制法に違反する疑いが強いと判断した。検査で違法行為が裏付けられれば、刑事告発に発展する可能性が高い。&lt;br/&gt;　国内原子力史上最悪となった事故に対する法的責任の追及がこれから本格化するが、一方で、臨界事故への対策を講じていない施設の設置を認めた国の安全審査の在り方にも批判が強まっている。&lt;br/&gt;　科技庁の検査は三日午後四時すぎか、相次いで開始。東海事業所では岩橋理彦・核燃料規制課長ら六人が、越島健三・東海事業所長らから、事故当時の作業や作業手順書の内容、組織の責任分担などについて聞き取りを始めた。本社には吉村宇一郎・同課安全審査管理官ら四人が入り、組織体制などを調査した。&lt;br/&gt;　同庁は「作業手順が国の許可の範囲を逸脱していたかの確認が最大のポイント」（原子力安全課）としており、同社が二日になって明らかにした、正規の手順を無視した作業手順書なども詳細に確認する方針。</記事>
<記事 タイトル="原子力／国内／東海村／臨界事故" サブタイトル="まかり通る勝手、放任／手抜き見ぬふり、効率優先との指摘も／裏マニュアル―違法作業を追認" 文献="1" 人物="1999年10月3日" 年月日="2006/11/23(Thu)" 連続="" 画像="" 横サイズ="650" 移動="21" リンク名="山形新聞／社会1999年10月4日" リンク="" コメント="" ジャンプ="eco_genshiryoku_kokunai_tokai">＜「やめさせなければと考えたんだが…」。東海村臨界被ばく事故を起こした核燃料加工会社ジエー・シー・オー（JCO）では、幹部が現場の手抜きを目にしても注意できず、国が許可した製造工程を勝手に変えてしまうなど、管理の甘さを指摘する証言や声が三日までに相次いだ。＝1面に関連記事＞&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;　ある幹部は四、五年前、ステンレス容器を使った作業を監督して「こっち（溶解塔）の方でやりたいね」とつぶやいたことを覚えていた。不適当な作業と分かっていたが、改善の行動は取らなかった。「後で正しいやり方に戻したと聞いたのだが…」とうなだれた。&lt;br/&gt;　同社は「作業上の判断はグループ単位」との放任がまかり通っていたという。製造工程を現場が勝手に変更してもチェック機能は働かず、逆に社内の製造マニュアルが書き換えられてしまった。「裏マニュアル」に印刷された変更理由は「現状の製造手順とマッチせず」。誤った現状を正しい方法として「手引」にする本末転倒ぶりだ。&lt;br/&gt;　沈殿槽に大量のウランを投入したことについて別の幹部は「（沈殿槽の容量が）かなり大きかったから」と入れ物のせいにしていた。&lt;br/&gt;　会社側は手順の変更を「現場の人がやりやすいと思った」と説明するが「効率優先の結果」との指摘もある。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;　JCOが国の許可を得ずに作成した「裏マニュアル」は、表紙に「手順書」「常陽、溶液製造（混合・ボトル詰）出荷手順」と記されている。&lt;br/&gt;　それまでの手順書の改訂で、一九九七年十月二十七日付で部長の承認印など計六人の印がある。&lt;br/&gt;　事故につながった作業過程では手作業が目につく。酸化ウランの溶解は、本来、溶解槽を使うべきところを「ステンレスバケツを三個良く洗浄し、溶解用として用意する」と明記。&lt;br/&gt;　時間短縮と、現場の作業が簡単になるよう、違法なステンレスバケツの使用を定めている。&lt;br/&gt;　手順書の改訂理由は「現状の製造手順とマッチせず全面改訂」としているが、溶解過程の手順は、現場の勝手な作業を文書で追認した形だ。手順書では、バケツの中で硝酸を少しずつ加えて溶解した酸化ウランは、所定量まで純水を入れてかくはん後、二五〜三〇度に冷却。溶液を確認し、異物がある場合は「ピペットで吸引回収する」とし、次に「メスシリンダーに〇・五g抜き取って比重測定」と手作業が定められている。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;幹細胞移植を実施へ&lt;br/&gt;６日にも東大病院、重症の大内さんに&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;　東大病院（東京都文京区）は三日、東海村臨界被ばく事故で重症になり、入院中のJCO社員大内久さん（三五）の造血機能の回復を図るため、提供者の血液細胞の一部を増殖させて注入する「末しょう血幹細胞移植」を実施すると発表した。&lt;br/&gt;　もう一人の重症者の篠原理人さん（三九）が入院している放射線医学総合研究所（放医研、千葉市）も、篠原さんに臍帯皿（さいたいけつ）移植を行う準備をしていると明らかにした。&lt;br/&gt;　大内さんは、免疫機能に重要なリンパ球数がゼロになり、肺水腫（しゅ）の兆候も出始めるなど、予断を許さない状況。東大の医師団は、提供者となる大内さんの兄弟の健康状態を見極めて血液中の幹細胞を増やすための薬物を投与し、六日にも移植を実施する。</記事>
<記事 タイトル="原子力／国内／東海村／臨界事故" サブタイトル="卵、納豆まで消えた／広がる販売の自粛／百貨店スーパー、茨城県産を外す" 文献="1" 人物="1999年10月3日" 年月日="2006/08/24(Thu)" 連続="" 画像="" 横サイズ="650" 移動="14" リンク名="山形新聞／社会1999年10月3日" リンク="" コメント="" ジャンプ="eco_genshiryoku_kokunai_tokai">＜東海村臨界被ばく事故で、茨城県産の農畜産物の販売を見合わせる動きが全国的に広がっている。スーパーや百貨店では二日現在、事故前に入荷したものや現場から遠い産地の作物を販売する店がある一方、「消費者の不安を考えて」などと同県産すべてを自粛している店も多く、卵や名物の納豆まで棚から下げた所もある。今年二月にはダイオキシン報道をきっかけに埼玉産野菜の価格が暴落する騒ぎがあったばかり。ノンフィクション作家の山崎朋子さんは「納豆までとは。幼稚な反応だ」と批判。野中広務官房長官の「安全宣言」で事態が収まるのか、三日からの消費者の反応が注目される。　　　　　　　＝1面に関連記事＞&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;　東京都の中央卸売市場は事故当日の九月三十日深夜、緊急措置として現場の半径十`以内で収穫されたサツマイモなどの都内各市場への搬入を差し止めた。二日夜解除したが、もともとこの地域からの入荷量は全体の〇・一％前後にすぎない。同市場の中卸業者山上直行さん（五八）は「取引先の小売店はナスやホウレンソウを群馬や栃木産に切り替えている。納入先の有名ホテルに『茨城のは入れないで』と言われたそうだ。茨城産というだけで嫌われるのでは産地がかわいそうだ」と嘆く。&lt;br/&gt;　都内の百貨店では「百パーセント安全と確認されていない」と茨城産の野菜をすべて店頭から外した店が多い。高島屋本社（東京都中央区）は野菜、果物、卵の販売を控えるよう全国十八店鋪に指示。大丸東京店（同千代田区）は野菜、コメ、納豆を自粛している。&lt;br/&gt;　サティなどの小売店を持つマイカル（大阪市）はダイコンなどについて、現場から十`以上離れた産地のものという張り紙を店頭に出した。&lt;br/&gt;　「産地はどこか」「安全性は大丈夫か」などの問い合わせが十件近くあった宮城県の「みやぎ生協」は「安全性の判断はわれわれ素人には無理。行政機関が単品ごとに安全宣言してくれないと困る」と話す。&lt;br/&gt;　「事故以前に収穫したもの」と表示を出すスーパーも少なくない。コープこうぺ（神戸市）は茨城産の大豆を使った納豆に「昨年収穫した大豆を使用しているので安全です」という張り紙を三日にも出す。また北海道旭川市内のスーパーではサツマイモの〈茨城産〉の札を「関東産」と替えて店頭に並べた。&lt;br/&gt;　山崎さんは「納豆まで自粛とは笑い話に近い。非理性的な対応で信じがたい。生産者も困っているだろうが起きた途端に″回れ右″と一直線に向かう感情的な雰囲気が怖い」と話している。</記事>
<記事 タイトル="原子力／国内／東海村／臨界事故" サブタイトル="盲点だった燃料工場／ルール全く無視、安全当局、お手上げ／見えない恐怖・臨界事故の衝撃（中）" 文献="1" 人物="1999年10月3日" 年月日="2006/08/24(Thu)" 連続="" 画像="" 横サイズ="650" 移動="16" リンク名="山形新聞／政治・行政1999年10月3日" リンク="" コメント="" ジャンプ="eco_genshiryoku_kokunai_tokai">　原子力事故の度に繰り返されてきた「想定外の出来事」。しかし事故慣れしているはずの科学技術庁や原子力安全委員会も、今回はかつてない危機感を抱いている。二日には、会社が、安全当局の目を通さない勝手なマニュアルを使って事故を起こしたことが発覚。後を絶たない原則無視の原子力事故に、担当職員からさえ現在の規制策の無力さを嘆く声が上がった。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;　「あり得ない」&lt;br/&gt; 「燃料工場なら臨界事故はあり得ない。マスクとか装備はしていたのか」&lt;br/&gt;　原子力安全規制の中枢の原子力安全委員の一人は九月三十日午後、「燃料工場で作業員被ばく」の一報を受け、こう漏らした。原子力に精通した専門家ほど、考えられない事故だった。&lt;br/&gt;　通常のウラン燃料ならば、核分裂成分が少なく容易には臨界にならない。しかし、実際はその後、臨界が約二十時間も続く深刻な事態。急きょ開かれた安全委員会で、この委員は「初歩的なルール違反がなければ起きない」と激怒した。&lt;br/&gt;　安全当局の対策は従来に比べれば早かった。&lt;br/&gt;　事故発生から三時間半後の同日午後二時に安全委員会を開催。三十分後に同庁の、さらに三十分後には首相を本部長とする政府の対策本部が置かれた科技庁四階には各課の担当者が集まる事務局が設けられ、首相官邸と連絡を取った。&lt;br/&gt;　午後六時すぎには専門家の助言組織を立ち上げ、徴夜の議論で臨界停止の方策をまとめ上げた。&lt;br/&gt;　「委員会の対応はうまくいった」と胸を張る同庁原子力安全局幹部もいた。しかし、肝心の事故自体はなぜ防げなかったのか。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;　性善説は危険&lt;br/&gt;　「性善説に立つ安全規制では、どうしようもない」と旧動燃のもんじゅ、東海再処理工場の事故も経験したベテラン職員は嘆く。&lt;br/&gt;　日本の規制は、まず施設の用途と設計について厳密に審査。作業の手順や、使用する原材料の仕様などを事業者と事前に取り決めることに重きを置いている。&lt;br/&gt;　実際にどういう作業が行われているのかのチェックは事業者の管理に任せられている。「取り決め自体を全く無視した今回のようなケースは想定できない」という。&lt;br/&gt;　「もし性悪説で実際のやり方まで監視しようとすると、国営企業にでもするしかないですね」とお手上げの表情だ。&lt;br/&gt;　民間の原子力事業者を監督する立場の通産省の担当者は「東海村で日本初の原子の火がともって以来、安全確保の決め手のはすの原子炉等規制法はつぎはぎで直してきた。燃料施設などに盲点があることは感じていた」と悔しげ。&lt;br/&gt;　「省庁再編を機に、安全規制関係の法律を抜本的に改めるべきだ」と話した。</記事>
<記事 タイトル="原子力／国内／東海村／臨界事故" サブタイトル="「手間省き手作業指示」／被ばく３人、ウラン溶解は未経験" 文献="1" 人物="1999年10月3日" 年月日="2006/11/23(Thu)" 連続="" 画像="" 横サイズ="650" 移動="24" リンク名="山形新聞／総合1999年10月4日" リンク="" コメント="" ジャンプ="eco_genshiryoku_kokunai_tokai">　茨城県東海村の臨界事故で、被ばくした核燃料加工会社ジエー・シー・オー（JCO）の社員の一人が茨城県警の聴取に対し「（核燃料製造工程で）手間を省くため手作業を指示した。ウランを溶解する作業は三人とも初めてだった」などと供述していることが三日、分かった。&lt;br/&gt;　同社は国の許可なしに核燃料製造の「裏マニュアル」を作成、違法作業を続けていたことが明らかになっている。&lt;br/&gt;　同県警は、同社のずさんな管理体制が事故を引き起こした疑いが濃厚になったとして捜査本部を設置。幹部からさらに事情を聴くなどして社員の供述の裏付けを進め、安全が確認され次第、原子炉等規制法違反などの容疑で家宅捜索や現場検証に乗り出す。&lt;br/&gt;　科学技術庁原子力安全局は三日夕、JCO東京本社と東海事業所を立ち入り検査した。&lt;br/&gt;　事故は九月三十日午前十時三十五分ごろ、同事業所の転換試験棟で発生。副長の横川豊さん（五四）や大内久さん（三五）、篠原理人さん（三九）の三人が被ばく、大量の放射能を浴び重症となった。&lt;br/&gt;　同社の裏マニュアルでは、ウラン燃料を製造する際には、溶解槽の代わりにステンレス製容器を使い、粉莱状のウラン化合物を硝酸に溶かし、溶液を貯塔に送り込むとしている。&lt;br/&gt;　しかし聴取を受けた、三人のうちのリーダーの横川さんは「作業はマニュアル通りにはやらず、大内さんら二人には手間を省くため、溶液を手作業で（沈殿槽に）移すよう指示した」と裏マニュアルにも従わなかったことを認めた。上司もこの作業手順の変更は知らなかったという。&lt;br/&gt;　JCOの説明では、転換試験棟内の業務経験は副長が延べ二、三カ月、他の二人は今回から従事したが、横川さんは「わたしは精製作業をしたことがあるが、溶解作業は三人とも初めてだった」とも供述した。&lt;br/&gt;　また事故時の様子については、隣の部屋で事務作業中に、突然、警報器が鳴った。このため、ドアを開けて中に入ると、大内さんら二人が「青い光を見た」と言ったので「危険だ、逃げろ」と叫んだ。三人で慌てて転換試験棟から外に飛び出したが、大内さんは途中で倒れた、と説明した。&lt;br/&gt;　JCOの正規の工程では「常陽」の燃料製造は、原料精製から溶解作業まで含め約二カ月かかる。ところが今回は前段の精製を約二十日間で終え、九月二十九日から始まった溶解作業もハイペースで行われており、このまま続ければわずか一週間前後で完了する計算になる。&lt;br/&gt;　JCOが違法と知りながらも、手間を省いて作業効率を上げたのは、生じた会剰人員を別の部署で使おうとしたためではないかとみてみて捜査する。&lt;br/&gt;　　　＝19面に関連記事</記事>
<記事 タイトル="原子力／国内／東海村／臨界事故" サブタイトル="「避難必要」村に伝えず／ＪＣＯ" 文献="1" 人物="1999年10月4日" 年月日="2006/11/23(Thu)" 連続="" 画像="" 横サイズ="650" 移動="25" リンク名="山形新聞1999年10月4日" リンク="" コメント="" ジャンプ="eco_genshiryoku_kokunai_tokai">　茨城県東海村の臨界被ばく事故で、核燃料加工会社ジエー・シー・オー（JCO）は、事故発生から約一時間後に現場周辺で実施した最初の放射線量測定で異常な数値を計測し「住民避難の必要がある」と判断しながら、実際に東海村に避難勧告の要請をしたのは、さらに二時間以上たってからだった。同社が東海村に提出した文書などから四日、明らかになった。&lt;br/&gt;　科学技術庁は三日に引き続きJCOの東海事業所を立ち入り検査、事故当時の作業内容や組織の責任分担などのほか、避難要請など事故後の対応についても詳しく調べる。&lt;br/&gt;　JCOによると、東海事業所転換試験棟で警報が鳴ったのは、九月三十日午前十時三十五分。その後、救急要請などをした後、午前十一時半過ぎから、事業所の敷地境界線で放射線量の測定を始めた。同社が東海村に提出した事故直後の対応を時系列にまとめた文書には、午前十一時四十四分に、通常の約四千倍にあたる毎時０．８ミリシーベルトの放射線量を測定したことと、「周辺住民避難要」とした所見が記されている。&lt;br/&gt;　しかし、越島建三東海事業所長が東海村の村上達也村長に、避難勧告を要請したのは午後一時五十六分。村が現場から半径三百五十b以内の住民に対する避難勧告を正式に決めたのは、さらに遅れて午後三時になってからだった。&lt;br/&gt;　この間、村は午後零時半に防災無線で「外に出ないでください」と呼び掛けていた。&lt;br/&gt;　避難勧告の正式決定前に村から「勧告の判断はJCOか、あるいは県、国の判断か」と問い合わせがあり、所長が「JCOの判断」と回答したことも、文書には記されている。</記事>
<記事 タイトル="原子力／国内／東海村／臨界事故" サブタイトル="信頼回復に時間／砕け散る推進戦略／行く手は視界ゼロ" 文献="1" 人物="1999年10月4日" 年月日="2006/11/23(Thu)" 連続="" 画像="" 横サイズ="650" 移動="24" リンク名="山形新聞1999年10月4日／政治･行政／見えない恐怖･臨界事故の衝撃（下）" リンク="" コメント="" ジャンプ="eco_genshiryoku_kokunai_tokai">　原子力への信頼が地に落ちた最近の一連の不祥事に加え、住民に危険が汲んだ今回の事故によって、具体的に動き始めたばかりの核燃料サイクル政策の行く手は視界ゼロ。原子力の推進側の目算は砕け散った。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;モラルが欠如&lt;br/&gt;　「こんなめちゃくちゃなことがまかり通っていたとは。信頼回復は長い道のりになるだろう」&lt;br/&gt;　事故二日目の一日、臨界管理設備の緊急点検のため、役員室で夜明かしした東京電力の榎本總明常務は疲れた表情をさらに曇らせた。&lt;br/&gt;　「安全情報の交換に業界の横の広がりがなかった。事故は原子力事業者の連帯責任になる。今後、原発を支える産業界全体で話をしたい」と強調した。&lt;br/&gt;　通産省の担当者も「チェルノブイリ事故の時″作業員の教育も含め、日本は安全″と言つたのに、不十分な防護やモラル欠如が露呈した」と話す。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;一から出直し&lt;br/&gt;　影響は安全と信頼の問題にとどまらない。&lt;br/&gt;　「今年の夏以来、原発の増設を進めようとすると敦賀原発の冷却水漏れ事故が起き、プルサーマルを始めようとするとMOXのデータねつ造問題が発覚した。今度は高レベル放射性廃棄物最終処分に道をつける法案を準備している最中に、臨界事故だ」&lt;br/&gt;　核燃料サイクル計画具体化の節目節目に、計ったように起こる不祥事、タイミングの悪さに、通産省の幹部は思わず愚痴をこぼす。&lt;br/&gt;　あらゆる原子力施設の立地の前提である住民の感情は、事故によって確実に悪化した。「致命的というか、深刻だ。心に残る被害だ。一から出直さなければ」と太田宏次・電気事業連合会会長（中部電力社長）。&lt;br/&gt;　通産省幹部は、核燃料サイクルの根幹であるブルサーマル計画について「福島と高浜は大丈夫だろうが、その先の（東電）柏崎刈羽は心配。もっと影響が大きいのが（中国電力）島根や（北海道電力）泊などの原子炉の増設計画だろう」と懸念する。&lt;br/&gt;　使用済み核燃料の行き場を確保する切り札として緊急課題になっている中間貯蔵施設計画も矢面に立つ。&lt;br/&gt;　ある電力会社幹部は「実は、立地についてようやく自治体と非公式の話し合いを始めたところだった」と明かし、付け加えた。「水をぶっかけられたようなもの。信頼を得たいが、何せ時間がないから」</記事>
<記事 タイトル="原子力／国内／東海村／臨界事故" サブタイトル="臨界事故／スプーン使い混ぜる／ウラン、バケツは７，８年前" 文献="1" 人物="1999年10月5日" 年月日="2006/11/23(Thu)" 連続="" 画像="" 横サイズ="650" 移動="27" リンク名="山形新聞／社会1999年10月6日" リンク="" コメント="" ジャンプ="eco_genshiryoku_kokunai_tokai">　東海村臨界事故を起こした核燃料加工会社ジエー・シー・オー（JCO）は五日、茨城県庁で記者会見し、事故当時、市販のステンレス製バケツにウランの粉末と硝酸水を入れ、スプーンのようなものでかき混ぜていたことを明らかにした。バケツを使い始めたのは操業記録などから七、八年前とみられるという。&lt;br/&gt;　JCOは会見で、実際に使っていたのと同型のバケツを公開した。高さ約三十a、底の直径約二十五a、上の直径約三十aの市販品で、JCO東海事業所の物品庫に保管されていたという。かき混ぜに使ったスプーンのようなものについて、小川弘行・製造部計画グループ長は「形は明確に覚えていないが、バケツに入れると先が出るぐらいの長さだった」としている。&lt;br/&gt;　JCOは、事故後に中性子を吸収するホウ酸水を注入している際の沈殿槽の写真も公表した。冷却水を抜いた後の一日午前九時十二分の撮影で、ホウ酸水を注入するホースがセットされている。&lt;br/&gt;　また五日午前、JCO東に事業所内で会見した越島建三所長は、バケツを使っていることを知った際「国に申請した方法と違うと思った」とし、違法性の認識があったことを示唆。&lt;br/&gt;　東海村などへの避難要請の遅れについて「臨界が起きたとしか考えられなかったが、現場が混乱していて通報が遅れた。弁解の余地はない」などと述べた。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;重症のl人肺炎の兆候&lt;br/&gt;　　　　きょう幹細胞移植&lt;br/&gt;　東海村臨界事故で重症のジエー・シー・オー（JCO）社員、大内久さん(35)の容体について東大病院（東京都文京区）は五日、エックス線検査で肺に複数の影が見つかり、感染症（肺炎）の兆候が出ていることを明らかにした。&lt;br/&gt;　白皿球や血小板の数も低下し続けており、医師団は六日午後、低下した造血機能を回復させるため兄弟からの「末しょう血幹細胞移植」を予定している。&lt;br/&gt;　五日夕の記者会見によると、大内さんは意識ははっきりしているが、前日までと同様、肺にリンパ液などがたまる肺水腫（しゅ）の状態が続くなど予断を許さない状態。&lt;br/&gt;　一方、科学技術庁放射線医学総合研究所（放医研、千葉市稲毛区）は、入院している同社員の横川豊さん(54)の容体について「白血球、リンパ球ともやや減少しているが、意識ははっきりしており食欲もある」と発表した。&lt;br/&gt;　放医研によると、横川さんは体温、血圧などは正常。&lt;br/&gt;点滴と経口食により体液のバランスを保つ治療をしており「今後しばらくは、消化管出血など本格的な放射線障害が予想され注意が必要」としている。</記事>
<記事 タイトル="原子力／国内／東海村／臨界事故" サブタイトル="臨界の恐怖、核心にメス／JCO捜索、線量計つけ捜査員続々" 文献="1" 人物="1999年10月6日" 年月日="2006/11/21(Tue)" 連続="" 画像="" 横サイズ="650" 移動="22" リンク名="山形新聞1999年10月6日" リンク="" コメント="" ジャンプ="eco_genshiryoku_kokunai_tokai">＜住民を放射能の恐怖にさらした東海村臨界事故で、刑事責任の追及が本格的に始まった。六日朝、茨城県警が着手した核燃料加工会社ジェー・シー・オー（JCO）の家宅捜索。捜査員は全員が線量計を身につけ、防護服も用意して建物内へ。次々露呈する安全無視の実態に、科学技術庁は事業許可を取り消す方針を固めた。「もう出ていってほしい。捜査は当然だ」。住民は怒りを募らせ、「会社ぐるみの違法行為」を解明する捜査の動きを見守った。　　　　　　　　　　　　　　　　　　　＝一面に関連記事＞&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;　放射線量を測定する線量計を胸に、捜査員約百人が厳しい表情で捜索に入った。三十一万人もの住民が避難や屋内退避を強いられた核燃料加工会社JCO東海事業所の臨界事故。六日午前、茨城県警の強制捜査が始まり、地元住民や自治体関係者は「強制捜査は当然」と口をそろえた。&lt;br/&gt;　午前八時三十五分スーツ姿に腕章をした捜査員約百人が到着。胸ポケットなどにつけた線量計が目につく。防護服を用意した捜査員の姿も。隊列を組んで無言のまま「事故対策本部」の看板を掲げた事務棟に向かった。&lt;br/&gt;　同事業所に出動する社員はほとんどがマイカーの窓を閉めたままでゲートを通過。捜索が始まるころには作業服姿の職員約二十人が、慌ただしく事務所を行き交った。近くで飲食店を経営し、一時避難所生活を強いられた女性(57)は「あれだけでたらめなことをしてるんだから、強制捜査は当然。もう、ここから出ていってほしい」と吐き捨てるように話した。&lt;br/&gt;　水戸市にある茨城県庁六階の災害対策本部では、六日も損害賠償や健康不安を問い合わせる電話が相次ぎ、職員が応対に追われた。川井康雄生活環境部次長は「ルール違反ははっきりしている。二度と同じような事故が起こらないようにするためにも刑事責任をしっかり追及してほしい」と話した。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;安全無視、次々明るみ、作業の説明も二転三転&lt;br/&gt;　「手間を省くため」に遵法工程を始め、実情を追認する「裏マニュアル」を作成。未経験の作業員がそれをも逸脱し、日本の原子力史上最悪の事態が起きた。東海村臨界事故では、核燃料加工会社JCOの説明が二転三転し、信じがたい安全無視の実態が明らかになってきた。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;　【市販バケツ】科学技術庁などに衝撃を与えた「裏マニュアル」。国が承認した方法では、溶解漕で酸化ウラン粉末を硝酸水に溶かすことになっていたが、代わりに使ったのが市販のステンレス製バケツ。かき混ぜるのは「スプーンのようなもの」だった。越島建三東海事業所長は「原子炉等規制法に抵触している認識はあった」と認める。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;　【猫の目会見】作業をめぐる説明も、猫の目のようたクルクル変わった。&lt;br/&gt;　事故翌日の一日午前の会見では「バケツを使う作業は通常と異なる規則違反。理由は分からない」。&lt;br/&gt;　それが同日夕にはバケツを使うのはマニュアル通りの作業で、沈殿槽と呼ばれるタンクに入れたことが事故原因と変更。二日になって、バケツ使用のマニュアル自体が、国の許可を受けていない「裏マニュアル」であると認めた。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;　【教育不足】事故を起こした社員らは「臨界」の意味をよく理解じていなかった。木谷宏治社長は「作業員に対し、臨界についてあまり教育していなかった」と社員研修のいい加減さを認める。事故当日の対応も&lt;br/&gt;乱れた。事故発生のわずか十分後には臨界事故と認識、さらに一時間後に実施した事業所外の放射線量測定で「住民避難の必要がある」と判断しながら、東海村には発生三時間後にようやく避難勧告を要請した。&lt;br/&gt;　社会生活を長時間まひさせた今回の事故。東海村の村上達也村長は「JCOの話を聞くと怒りがこみ上げてくる。これまで原子力と共存共栄してきたが、村民の意識は大きく変わった」と険しい表情で話した。</記事>
<記事 タイトル="原子力／国内／東海村／臨界事故" サブタイトル="組織の責任を明確に／行政責任追及が必要" 文献="1" 人物="1999年10月6日" 年月日="2006/11/21(Tue)" 連続="" 画像="" 横サイズ="650" 移動="23" リンク名="山形新聞1999年10月6日" リンク="" コメント="" ジャンプ="eco_genshiryoku_kokunai_tokai">組織の責任を明確に&lt;br/&gt;　元最高検検事の土本武司帝京大教授（刑法）の話&lt;br/&gt;　強制捜査が業務上過失傷害などの実質的な客観で行われたことに意義がある。事業の性質上、現場にいた個人ではなく会社全体を掌握する立場にあった人の責任を問う方向で捜査すべきだ。時間がかかっても、組織の責任を明確にする必要がある。難しい捜査になるが、「裏マニュアル」での作業は安全管理と直結する問題であり、容疑の構成要件の「予見可能性」はクリアできるだろう。仮に事故が現場の勝手な判断で起きたとしても、会社側の社員に対する安全管理上の指導義務の問題は追及の対象になる。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;行政責任追及が必要&lt;br/&gt;　小出裕章・京大原子炉実験所助手の括&lt;br/&gt;　原子力についてこれまで行政側は、多重の安全策を取るフェイルセーフの考え方に基づき、ミスをしても安全は守られるシステムになっていると強調してきた。そうした観点から見ると、今回の事故は臨界が起きる施設を許可した行政側に最大の問題があり、捜査をするなら、原子力安委員会も含めた行政当局をまずやるべきだ。会社や作業員だけに責任を取らせる、とかげのしっぽ切りのようなやり方では、事故の再発を防ぐ根本的な解決にはならない。</記事>
<記事 タイトル="原子力／国内／東海村／臨界事故" サブタイトル="旧動燃事故より捜査急ピッチ" 文献="1" 人物="1999年10月6日" 年月日="2006/11/21(Tue)" 連続="" 画像="" 横サイズ="650" 移動="24" リンク名="山形新聞1999年10月6日" リンク="" コメント="" ジャンプ="eco_genshiryoku_kokunai_tokai">　日本の原子力施設の発祥地とされる茨城県東海村で六日、再び原子力事故の強制捜査が入った。一九九七年三月に起きた旧動力炉・核燃料開発事業団（現・核燃料サイクル開発機構）東海再処理工場火災・爆発事故の虚偽報告事件より急ピッチ。四十九人が被ばくし三十一万人に退避を強いた空前の被害と、今も続く余波が早期の原因解明と責任追及を迫っている。&lt;br/&gt;　三十七人の被ばく者を出した動燃事故で、茨城県警は虚偽報告を突破口に関係者の事情聴取に着手しようとしたが、科学技術庁が告発する意向を示したため、いったん捜査を中断。発生から約一カ月半後に告発を受けると、関係者の聴取、家宅摸索へと一気に進んだ。&lt;br/&gt;　しかし押収した約二千二百点の資料分析に手間取った上、捜査対象者も当初の予想より大幅に多い約百四十人に上ったため、その後の捜査は難航。捜査から関係者の書類送検まで約二カ月半、略式起訴まではさらに約五カ月を要した。&lt;br/&gt;　業務上失火容疑の捜査は継続中だが、立件は難しいとされる。&lt;br/&gt;　今回のJCO臨界事故で、県警は九月三十日の発生直後から関係者の聴取を開始した。</記事>
<記事 タイトル="原子力／国内／東海村／臨界事故" サブタイトル="事業許可取り消しへ，科学技術庁" 文献="1" 人物="1999年10月6日" 年月日="2006/11/21(Tue)" 連続="" 画像="" 横サイズ="650" 移動="25" リンク名="山形新聞1999年10月6日" リンク="" コメント="" ジャンプ="eco_genshiryoku_kokunai_tokai">　東海村臨界事故で科学技術庁は六日までに、JCOに対し原子炉等規制法（炉規制法）に基づく事業許可を取り消す方針を固めた。&lt;br/&gt;　三日からの立ち入り検査で、JCO東海事業所が国から承認された正規の作業工程を無視し、バケツを使ったずさんな手順による作業を組織ぐるみで続けていたことを確認。今回の違反が極めて悪質である上、事故で少なくとも四十九人が被ばくし、三十一万人もの住民が避難や屋内退避を強いられたという結果の重大性を考慮し「事業許可取り消しが相当」と判断した。&lt;br/&gt;　同法による事業許可取り消しは初めてで、行政処分としては最も重い。正式な処分は、放射性の汚染物質の除去など、事故施設の安全確保が進んだ段階で行うことになる。&lt;br/&gt;　科技庁はこれまでに、違法な作業手順が書かれた「裏マニュアル」を立ち入り検査で確認したほか、それに基づく違法な作業が長期間続いていたことを裏付ける社員らの証言も得た。&lt;br/&gt;　「転換」と呼ばれる核燃料加工の一部を行う事業者は、国内にはJCOのほか一社しかなく、特に沸騰水型原子炉の燃料の転換事業を行うのは同社だけ。だが、海外への委託などによってカバーが可能で、発電に大きな影響はないという。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;1979年10月　日本核燃料コンバージョン設立&lt;br/&gt;91−92ころ　作業にステンレス製バケツ使用開始&lt;br/&gt;96・11　承認されたものと異なる工程を盛り込んだ「裏マニュアル」作成&lt;br/&gt;98・8　ジェー・シー・オー（JCO）に社名変更&lt;br/&gt;99・9・29　東海事業所で高速増殖炉実験炉「常陽」用の核燃料の製造開始、手順無視した作業進む&lt;br/&gt;　　9・30　臨界事故発生、作業の社員3人被ばく。事業所内で通常の4000倍以上の放射線量。&lt;br/&gt;現場から半径350b以内の住民に避難勧告、半径10キロ以内の住民に屋内退避を要請&lt;br/&gt;　　10・1　未明からJCO社員ら18人が冷去口水抜きなど決死の二作業、臨界終息。JCOが工程違反認める。屋内退避要請を解除。被ばく者は計49人に&lt;br/&gt;　　10・2　半径350b以内の避難勧告を解除&lt;br/&gt;　　10・3　茨城県警が捜査本部を設置。科学技術庁が原子炉等規制法に基づき、JCOを立ち入り検査&lt;br/&gt;　　10・4　原子力安全委が事故調査委員会の設置決定&lt;br/&gt;　　10・6　茨城県警が業務上過失傷害容疑などでJCO東海事業所など捜索</記事>
<記事 タイトル="原子力／国内／東海村／臨界事故" サブタイトル="ＪＣＯを強制捜査／茨城県警、過失障害と炉規法違反容疑／上層部の責任追及" 文献="1" 人物="1999年10月6日" 年月日="2006/11/21(Tue)" 連続="" 画像="" 横サイズ="650" 移動="26" リンク名="山形新聞1999年10月6日" リンク="" コメント="" ジャンプ="eco_genshiryoku_kokunai_tokai">＜東海村臨界事故で、茨城県警の捜査本部は六日、業務上過失傷害と原子炉等規制法違反（施設の無許可変更）の疑いで、現揚の核燃料加工会社ジエー・シー・オー（JCO、木谷宏沿社長）東海事業所と東京都港区の本社を家宅捜索した。同社は国に届けた作業工程を勝手に変更した上、社員に十分な安全指導もしていなかったことなどが次々に判明。攫盃本部は安全管理を怠ったことが事故につながったとみており、刑事責任追及に向けて上層部の事情聴取を本格化させる。　　　　　＝2、3面に関連記事＞&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&lt;img src=img/700082.jpg align=right&gt;　四十九人が被ばくした国内初の臨界事故は、発生から七日目で強制捜査に発展した。原子力事故の捜索で業務上過失傷害容疑が適用されるのも初めて。&lt;br/&gt;　捜索は午前八時半すぎ、二カ所ほぼ同時に始まった。東海事業所に入った捜査員は線量計を付け、一部は防護服も用意。現場の転換試験棟はまだ安全が確認されないとして、捜索を見送った。　調べによると、JCOは一九九二、九三年ころから、高純度ウラン燃料の製造工程を国の許可を得ずに変更。正規の溶解槽の代わりにステンレス製のバケツを使い、ウラン化合物を硝酸に溶かすなどしてきた。九六年には同社上層部も決裁し、この工程の「裏マニュアル」も作成された。&lt;br/&gt;　同社は事故の危険があるのに必要な措置を取らず、九月三十日午前十時三十五分ごろ、転換試験棟で臨界状態を引き起こし、作業中の社員三人らを被ばくさせた疑いが持たれている。&lt;br/&gt;　事故当時は「裏マニュアル」をも逸脱し、バケツで大量のウラン溶液を沈殿槽に移していた。&lt;br/&gt;　被ばくした製造グループ副長（五四）は事故直後の聴取に「手間を省くため、手作業を指示した。溶解作業は三人とも初めてだった」「危険な作業という認識はなかった」などと話した。&lt;br/&gt;　捜査本部は副長の上司や同僚、救急隊員からも聴取。同社に「裏マニュアル」などを任意提出させた。&lt;br/&gt;　捜索に先立ち、科学技術庁にも捜査員を派遣。原子炉等規制法違反容擬の適用などについて協議した。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;＜解説＞　国内初の臨界事故は６日の強制捜査で原因解明と刑事責任追及に向けて大きく踏み出した。しかし、放射能汚染が続いているとみられる現場のJCO東海事業所転換試験棟に捜査員は入れない。事実関係の立証に必要な現場検証の見通しは立たず、急ピッチで進む捜査に立ちはだかる「壁」になりそうだ。&lt;br/&gt;　捜査は、この日の家宅捜索まで一気に突き進んだ。被ばくした現場リーダーの副長を含む同事業所製造グループ社員らの聴取で、会社の安全管理のずさんさが次々に明らかになった。&lt;br/&gt;　JCOは記者会見で製造工程を都合のいいように変更していたことを認めた。ステンレス製バケツでウラン溶液をつくってきた経緯は「安全神話」を聞かされてきた国民に衝撃を与えた。&lt;br/&gt;　副長は臨界の意味もよく理解しておらず、業務上過失傷害罪の立件に必要とされる安全管理義務違反などは、早期に裏付けられそうにみえる。&lt;br/&gt;　残るのは事故がどのような経緯で発生したか、事故当時の状況はどうだったのかなどの基礎的な立証。約二年半前、同じ東海村で起きた旧動力炉・核燃料開発事業団（現・核燃料サイクル開発機構）の再処理工場火災・爆発事故でも困難を極めた現場検証がいつ、できるかにかかっている。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;原子炉等規制法&lt;br/&gt;　原子力の軍事転用禁止と災害防止を目的として、原子力施設の設置、操業や核燃料、原子炉の利用などを全般的に規制する法律。原子力施設の審査や定期検査など、安全確保上の方策はすべてこの法律に定められている。東海村臨界事故の家宅捜索容疑となった「施設の無許可変更」は一六条に規定。核燃料物質の加工事業者が施設の位置や構造、設備、方法を変更するには内閣総理大臣の許可が必要とされる。無許可変更の罰則（七八条）は一年以下の懲役または五十万円以下の罰金としている。</記事>
<記事 タイトル="原子力／国内／東海村／臨界事故" サブタイトル="ＪＣＯの違法作業見逃す、書類のみ／９７年の動燃事故後の安全審査／科技庁" 文献="1" 人物="1999年10月7日" 年月日="2006/11/23(Thu)" 連続="" 画像="" 横サイズ="650" 移動="27" リンク名="山形新聞1999年10月7日" リンク="" コメント="" ジャンプ="eco_genshiryoku_kokunai_tokai">＜科学技術庁は一九九七年に茨城県東海村の旧動力炉・核燃料開発事業団（動燃）の再処理工場が火災爆発事故を起こした後に原子力施設の安全点検を実施した際、核燃料加工会社ジェー・シー・オー（JCO）に対しては書類審査をしただけで問題ないと判断、核関連施設への抜き打ち検査の対象にもしていなかったことが七日、分かった。同じ東海村内で、長期間にわたってウラン化合物をバケツで扱うなど、裏マニュアルによる違法な作業を続けていたJCOの操業実態が見逃されていたわけで、原子力史上最悪の臨界事故が起きた背景には、こうした監督官庁の甘い検査体制があった、ともいえる。今後、行政の責任や安全確認の在り方があらためて焦点になりそうだ。＞&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;　関係者によると、当時の動燃（現・核燃料サイクル開発機構）の再処理工揚の火災爆発事故の後に、科技庁は原子力施設の安全管理体制の総チェックを実施した。検査対象の中には科技庁核燃料規制課の担当者が実際に現地を訪問したケースもあった。&lt;br/&gt;　しかし、JCOは、当時から高速増殖炉実験炉常陽のための濃縮度の高いウラン燃料を扱っていたにもかかわらず、科技庁は同社東海事業所の現地調査を行わず、会社側に点検を行わせてその結果を書類で提出させただけで済ませていた。&lt;br/&gt;　また、科技庁は再処理工揚の火災爆発事故後に、核関連施設への検査を抜き打ちで行うことを決め、動燃の核燃料施設などが抜き打ち検査の対象とされた。だがJCOに対しては「疑うべき合理的な理由がない」などの理由で、この対象からも外れていた。&lt;br/&gt;　科技庁の担当者によると、JCOについては、過去に深刻な事故などがなかったこともあって、問題のある施設とはされていなかったという。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;バケツ使い省力化&lt;br/&gt;　茨城県警、指示系統の確認急ぐ&lt;br/&gt;　東海村臨界事故で、茨城県警の捜査本部は七日、業務上過失傷害と原子炉等規制法違反（施設の無許可変更）の疑いで家宅摸索した核燃料加工会社ジェー・シー・オー（JCO、木谷宏治社長）の東海事業所などから押収した各種マニュアル、作業報告書、組織表などの分析に入った。&lt;br/&gt;　安全管理を怠った過失責任や現揚の製造工程を勝手に変更した経緯を調べるため、製造部門の指示系統などの確認を急ぐ。ステンレス製のバケツを使った手作業の導入について捜査本部は、既にJCO側が記者会見で説明したように、省力化が動機だったとみて捜査している。&lt;br/&gt;　調べによると、JCO東海事業所は核燃料に加工される二酸化ウランの粉末を製造。通常受注する原子力発電所用は六日に捜索を受けた第一、第二加工施設棟で、高濃度の二酸化ウランが必要な高速増殖炉実験炉「常陽」用などは事故現場の転換試験棟で、それぞれ生産されてきた。&lt;br/&gt;　スポット的に受注する高濃度二酸化ウラン製造の工程で正規の溶解槽を使わず、バケツによる手作業が始まったのは一九九二年前後。九六年に「裏マニュアル」も作成された。&lt;br/&gt;　バケツ作業について、東海事業所の小川弘行・製造部計画グループ長は五日の会見で「手間を省くため」と説明。会社の上層部も黙認していたことを明らかにしている。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;再処理工場火災爆発事故&lt;br/&gt;　茨城県東海村の旧動力炉・核燃料開発事業団（動燃）東海事業所で一九九七年三月十一日午前、再処理工場のアスファルト固化処理施設のドラム缶から出火。水噴霧器で消火作業を行ったが同日午後八時すぎ爆発、放射能が放出され作業員三十七人が被ばくした。同施設は窓やシャツターが大破、放射能の封じ込めと換気で復旧に一カ月近くかかった。消火確認についての科学技術庁への虚偽報告が四月に発覚。茨城県警が強制捜査に乗り出し、法人としての動燃と職員六人を送検、水戸地検が動燃と職員二人を略式起訴した。</記事>
<記事 タイトル="原子力／国内／東海村／臨界事故" サブタイトル="中性子線１７時間放射／「臨界」の継続確認／被曝量、限度の２０倍超か" 文献="1" 人物="1999年10月8日" 年月日="2006/11/23(Thu)" 連続="" 画像="" 横サイズ="650" 移動="32" リンク名="山形新聞／総合1999年10月8日" リンク="" コメント="" ジャンプ="eco_genshiryoku_kokunai_tokai">＜東海村臨界事故で、事故が発生した先月三十日午前から翌十月一日未明まで、約十七時間にわたって臨界状態がほぼ継続、強い中性子線の放射が続き、その間、核分裂でできる放射性ガスが放出されていたことを示す現場近くの測定データを日本原子力研究所那珂研究所（茨城県那珂町）が七日、原子力安全委員会に報告した。事故発生から終息までの中性子線などの連続的な堆移が示されたのは初めて。＞&lt;br/&gt;&lt;img src=img/700083.jpg&gt;&lt;br/&gt;　科学技術庁は、事故があった転換試験棟以外の揚所で被ばくした四十六人分の線量のデータを安全委員会に報告した。一般人の被ばく許容限度の二十倍を超える可能性があるケースも判明、次第に日本の原子力史上最悪の臨界事故の深刻さが明らかになりつつある。&lt;br/&gt;　中性子線の測定データは現場からそれぞれ一・七`、二`離れた同研究所敷地内の二カ所の中性子線、ガンマ緑モニターで得た。&lt;br/&gt;　中性子線は、発生直後の三十日午前十時三十六分に、モニターの一つが一時間当たり〇・二六マイクロシーベルトと、直前に比べ数十倍強い中性子線を検出した。&lt;br/&gt;　通常考えられない高レベルのため原研は当初、ノイズと判断。同日午後になって科技庁に報告した。&lt;br/&gt;　二つのモニターは、その後も通常を上回る強さの中性子線を検出し続けたが、沈殿糟の冷却水を抜き取り始めた一日午前三時半ごろ、約十七時間ぶりに低下し、平常値に戻った。&lt;br/&gt;　これは、冷却水が抜け始めるまで臨界状態が衰えずに中性子が周辺に出続けていたことを示している。&lt;br/&gt;　ガンマ線は、事故発生直後と午後四時すぎ、午後八時すぎ、午後十一時すぎの計四回、高い数値で検出され、その間も平常時に比べ高めの状態が続いた。ガンマ線検出は、事故現場から放出された放射性ガスが変化した放射性物質が届いたためとみられる。&lt;br/&gt;　周辺の土壌などから見つかった放射性物質は、ウランの核分裂で直接できるヨウ素１３３のほか、放射性ガスのキセノンとクリプトンが変化してできるセシウム138、ストロンチウム９１などだった。&lt;br/&gt;　科技庁は、見つかった放射性物質はいずれも極めて微量で、健康への心配はないとしている。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;炉規法違反を先行捜査&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;　核燃料加工会社ジエー・シー・オー（JCO）東海事業所（茨城県東海村）の臨界事故で、同県警の捜査本部は七日、業務上過失傷害容擬の立件に必要な現揚検証をいつ実施できるか見通しが立たないため、原子炉等規制法違反（施設の無許可変更）容疑の捜査を先行させる方針を固めた。同社は国に届けた製造工程を勝手に変更し「裏マニュアル」まで作成していたことを既に認めており、攫査本部は六日の家宅捜索で押収した資料の分析と関係者の事情聴取などで、無許可変更の経緯や指示、命令系統の確認を急いでいる。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;中性子線&lt;br/&gt;　放射線の一種で、放射性物質が核分裂する際に、原子核を構成する素粒子の一種の中性子が飛び出すことで発生。物質に衝突するとそこで新たな放射性物質を生成することがある。人体などへの影響はガンマ線など、他の放射線に比べて大きいとされる。</記事>
<記事 タイトル="原子力／国内／東海村／臨界事故" サブタイトル="科技庁巡視（２回）の時は転換試験棟は運休中／甘い対応指摘の声／事故調査委員会初会合" 文献="1" 人物="1999年10月8日" 年月日="2006/11/23(Thu)" 連続="" 画像="" 横サイズ="650" 移動="28" リンク名="山形新聞／社会1999年10月9日" リンク="" コメント="" ジャンプ="eco_genshiryoku_kokunai_tokai">　核燃料加工会社ジエー・シー・オー（JCO）東海事業所で起きた臨界事故の原因を究明する原子力安全委員会の事故調査委員会（委員長・吉川弘之日本学術会議会長）の初会合が八日、通産省別館で公開で開かれた。安全委に事故調委ができたのは一九九五年、旧動燃の高速増殖炉原型炉もんじゅ（福井県敦賀市）のナトリウム漏れ事故以来。　＝1面に関連記事　会合では科学技術庁が事故発生からの経過、立ち入り検査の進行状況などを報告。科技庁が昨年四月以降二回にわたり事故が起きた同事業所の転換試験棟を巡視したが、いずれも運転休止中で「裏マニュアル」の存在や違法な作業実態などを確かめられなかったことを明らかにした。&lt;br/&gt;　科技庁によると昨年四月から、約五年半ぶりに同事業所の調査を実施。東海村常駐の運転管理専門官が、月一回程度、同事業所を巡視していたが、うち転換試験棟も巡視した二回は、同棟は運転を休止していた。&lt;br/&gt;　巡視は法律に基づく検査とは異なる任意の調査で、事前に日時を連絡するが「中身までは知らせないはず」と科技庁は説明。委員の一人は「行く度に休止中とはおかしい。情報が事前に漏れていた可能性はないのか」と非難した。&lt;br/&gt;　事故調査委は原子力以外の専門家も含む二十六人の委員がさまざまな角度から事故原因を徹底的に究明し、年内に再発防止策の提言を目指すとしている。&lt;br/&gt;　冒頭、科技庁の中曽根弘文長官は「原因を究明し、抜本的な対策を講じなければならない。ご提言を新法などに最大限反映させたい」などと述べた。&lt;br/&gt;　また科技庁の岡崎俊雄事務次官が同日会見し、監督官庁としての責任について「責任を取らないつもりは全くない」と述べ、科技庁が違法行為をチェックできなかった問題も調査する考えを示した。&lt;br/&gt;　今後の転換試験棟内の調査について科技庁は、沈殿槽の中身を確認するため、一、二週間のうちに少量のウラン溶液を採取する方針で、遠隔操作による採取方法などを検討している。</記事>
<記事 タイトル="原子力／国内／東海村／臨界事故" サブタイトル="被ばく３作業員、普段は補助業務／溶解作業は初めてだった" 文献="1" 人物="1999年10月8日" 年月日="2006/11/23(Thu)" 連続="" 画像="" 横サイズ="650" 移動="29" リンク名="山形新聞／総合1999年10月9日" リンク="" コメント="" ジャンプ="eco_genshiryoku_kokunai_tokai">　東海村臨界事故で、核燃料加工会社ジエー・シー・オー（JCO）東海事業所の事故を起こした転換試験棟は、不定期に受注する高濃度の二酸化ウラン製造用の施設で、昨年六月から今年九月上旬まで稼働しておらず、被ばくした社員三人はその間、別の加工施設で廃棄物や排水の処理などを担当していたことが八日、分かった。　　　＝23面に関連記事&lt;br/&gt;　同事業所が製造部門の社員（製造工程の作業員）を二年間で約五十人から約三十人に四割も減員していたことも判明した。茨城県警の捜査本部もこうした経緯を把握。危険な高濃度の二酸化ウランを製造する社員が普段は補助的な仕事しかしていなかったことや、大規模なリストラが事故につながった可能性もあるとみて事情を聴いている。&lt;br/&gt;　事故が発生した転換試験棟の溶解作業は三人とも初めてだったことも既に明らかになっている。転換試験棟で作業する社員はスペシャル・クルー（SC）と呼ばれ、被ばくした三人を含む五人を配置。稼働していないときは第二棟で補助的な作業をしていた。被ばくした三人のうち製造グループ副長（五四）は九七年七月から、残る二人は昨年七月から、それぞれSCになった。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;原子力保険適用を決定、国内初&lt;br/&gt;　損害保険四十三社でつくる、日本原子力保険プール（会長、佐藤隆太郎・日産火災海上保険社長）は八日までに、核燃料加工会社ジエー・シー・オー（JCO）東侮事業所で起きた臨界事故に、国内で初めて、原子力損害賠償責任保険を適用する方針を決めた。&lt;br/&gt;　科学技術庁の立ち入り検査などで同社の組織ぐるみの責任が明らかになりつつあるが、適用は問題ないとの判断だ。これによりJCOへの損害賠償請求は、十億円までは同保険から支払われる。政府は賠償責任をめぐる和解仲介組織として、紛争審査会を科技庁に発足させる。</記事>
<記事 タイトル="原子力／国内／東海村／臨界事故" サブタイトル="長期化防止の水抜き、「緊急避難やむを得ない」／安全委と科技庁首脳、被ばくを覚悟、決断／一度の作業、３分限度／臨界の危険性教えず、社内チェック不十分" 文献="1" 人物="1999年10月10日" 年月日="2000年09月03日(日)" 連続="" 画像="" 横サイズ="650" 移動="17" リンク名="山形新聞1999年10月11日／総合" リンク="" コメント="" ジャンプ="eco_genshiryoku_kokunai_tokai">＜茨城県東海村のジェー・シー・オー（JCO）東海事業所で起きた臨界事故を終息させたJCO社員らの懸命の冷却水抜き作業は、原子力安全委員や科学技術庁首脳が「長期化を防ぐには、被ばく覚悟の危険な作業も緊急避難的な措置としてやむを得ない」と決断した結果だったことが十日、関係者の証言で分かった。＞&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;　作業は、政府の現地対策本部＝本部長・稲葉大和科技庁政務次官（当時）＝の検討で決まり、現場での指揮は稲葉本部長から権限を移譲された住田健二原子力安全委員会委員長代理が執った。「水抜きでいきましょう」。発生半日後の九月三十日午後十時半ごろ。日本原子力研究所東海研究所の現地対策本部で、臨界を終息させる具体策が決まった。&lt;br/&gt;　室内には、住田委員長代理ら安全委員二人、各省庁、原研、核燃料サイクル開発機構などの専門家ら。&lt;br/&gt;　臨界反応が続いている転換試験棟の沈殿槽を、二・五センチの厚さで冷却水が取り巻いている。これが中性子をはね返す反射体となり、臨界を長引かせているとの判断だった。&lt;br/&gt;　水のバルブは施設外にあるが、大量の中性子を浴びる危険は避けられない。佐藤一男原子力安全委員長は既に政府対策本部の会合で「作業には危険が伴うかもしれないが、より多数の被ばくを避けるためだ」と閣僚の理解を求めていた。東京と東海村で慌ただしく連絡が取られ、午後十一時ごろ「緊急避難でやむを得ない」との判断が固まった。&lt;br/&gt;　午後十一時すぎ、現地本部で編成した専門家らの「特別隊」がJCO東海事業所管理棟に到着。ところが現地には、防護服や線量計など基本的な装備も足りず、器材を集めるのに、かなりの時間がかかった。&lt;br/&gt;　だれが作業をやるかも問題だった。「君、やってくれるか」　「はい」。JCO中堅幹部の問いかけに答えて一人が決まると、次々に手が挙がった。&lt;br/&gt;　作業開始は十月一日午前二持半すぎ。現場の放射線レベルは予想以上に高く、一班の作業は二、三分が限度だった。午前三時半ごろ、三班目のバルブ操作で中性子が下がり始め、九班目が水を追い出すためにガスを送り込んだ後、午前六時半ごろには全く検出されなくなった。&lt;br/&gt;　作業員の被ばくは、緊急時に認められている一〇〇_シーベルトは超えなかったとみられるが、大半が通常の年間被ばく限度の五〇_シーベルトを超えた。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;臨界の危険性教えず&lt;br/&gt;　JCO所長「社内チェック不十分」&lt;br/&gt;　臨界事故を起こした核燃料加工会社ジェー・シー・オー東海事業所の越島建三所長が十日、同事業所で会見し、事故現場にいた社員に「どれだけのウラン溶液を扱うかなど作業手順は教えていたが、高濃度のウランを入れると危ないという教育はしていなかった」と述べ、臨界の危険性を教えていなかったことを認めた。　「裏マニュアル」は「安全部門が審査していなかった。今思えば審査すべきだった」と話し、社内のチェックが不十分だったとの認識を示した。&lt;br/&gt;　沈殿槽へのウラン溶液投入について越島所長は「職場長や製造部長が指示した事実はない」とし、上層部の関与をあらためて否定。作業していた三人のリーダー格、横川豊計画グループ副長が「マニュアル通りウラン溶液を貯塔に入れるより、かくはん機が付いている沈殿槽のほうが早く混ざる」と、入院中の病院で会社側に説明したことも明らかにした。茨城県警への連絡が遅れたことは「頭の中で結びつかなかった。大変申し訳ない」と陳謝した。，，mikko，，&lt;br/&gt;2000年09月03日(日) 18時21分，1711，1999年10月3日，，，山形新聞／総合，door.gif，原子力発電所／東海村，許可なく製造工程を変更／会社ぐるみ安全軽視／ウラン化合物、手作業で運搬，，y9，＜茨城県東海村の臨界被ばく事故で、核燃料加工会社ジェー・シー・オー（JCO、木谷宏治社長）は、国の許可なしに作業工程を勝手に変更、作業マニュアルも改訂し、ステンレス容器を使って作業員がウラン化合物を手作業で運べるようにしてしまうなど、組織ぐるみで違法行為を行っていたことが二日、分かった。同社が茨城県庁で記者会見して明らかにした。＝3、19面に関連記事＞&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;　ステンレス容器使用が事故の直接原因とは言えないが、史上最悪の事故の背景に会社ぐるみの安全性軽視の姿勢があったことが判明し、同社の責任だけでなく、核燃料製造企業を規制する国のチェック体制も問われそうだ。茨城県警も違反内容を調べる方針。&lt;br/&gt;　一方、東海村は同日午後六時半、事故現場から半径三百五十b以内の避難勧告を五十一時間半ぶりに解除。三十九世帯、百二十人の住民生活は正常に戻り始めた。&lt;br/&gt;　記者会見したＪＣＯの小川弘行計画グループ長によると、国の承認を受けた方法は、酸化ウラン粉末を溶解槽内で硝酸に溶かし、細長い円形の貯塔に送り込む。&lt;br/&gt;　しかし、事故当時は溶解槽ではなく、バケツに似たステンレス製容器の中で溶かしていた。これまで同社は「ステンレス製容器を使うのがマニュアル手順」としていたが、このマニュアル自体が法律で認められていない方法を記したものだった。この方法は四、五年前から行われ、それを追認する形で、二年前にマニュアルを改訂した。&lt;br/&gt;　このほか、事故原因となった作業は、事故前日の九月二十九日から行われ、沈殿槽には前日既に十一`のウランが入っており、三十日に五`分入れたところで臨界に達した。&lt;br/&gt;　一方、労働省が二日に行った同社の労働者など計百九人の健康調査で、同社やその関連企業の七人が精密検査や再検査が必要と診断された。うち一人は事故後に嘔吐や下痢の症状を訴えており、精密検査を受けた。&lt;br/&gt;　また、被ばくして重症の社員、大内久さんは、二日午後、入院先の科学技術庁放射線医学総合研究所（千葉市）から東大病院に転院、臍帯血移植や末しょう血幹細胞移植などの新たな治療法が検討されることになった。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;ＪＯＣ大内さんの被ばく&lt;br/&gt;年平均の1万7000倍&lt;br/&gt;　千葉市の放射線医学総合研究所（放医研）は二日夜、東海村臨界被はく事故で入院したジェー・シー・オー社員三人の被ばく線量について、大内久さんが17シーベルト、篠原